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『カール・ポランニーの経済学入門』
若菜みどり 著
2015年刊 平凡社新書


ポランニーの思想について、詳しくわかりやすくまとめられた解説書
自由経済の発生とその暴走の確認から、
貨幣によって見えなくなる社会的責任の重要性に至る充実した議論。


 



以下、本文より・・・

はじめに
・市場社会に関するポランニーの命題
(1)市場経済の拡大は人間の福祉と共同社会への脅威である。
(2)市場経済の拡大がもたらす脅威に対して、さまざまな社会の自己防衛運動が動き出す。
(3)市場経済は自然の産物ではなく政府の干渉によって構築された。
(4)市場社会の許容する民主主義は制限されている。
(5)市場社会が保障する平和は脆い。
(6)市場社会の自由は制限されている。

第1章 カール・ポランニーの生涯と思想
・ポランニーは、「社会における経済(とりわけ市場)の位置」は
歴史的に変化してきたし、今後も変化しうると説き、
現代の市場社会が人間社会の経済の唯一普遍的な在り方ではなく、
経済を社会のなかで制度化する仕方は多様でありうることを明らかにしようとした。
・「「20世紀の人間にとっての中心的な問題、すなわち、
現代人の運命がかかっている争点は経済決定論と自由で道徳的な意志のあいだにある」
・「われわれに明らかになったのは、
われわれがどうすれば戦争を避けることができたかではなく、
これまでのわれわれの行動のすべてが
戦争を避けがたいものにする一因となったということである」
(「われわれの世代の使命」1918年)
・「労働者も資本家も、そもそも人間は、経済の舞台では単なる脇役と
社会的存在の客観的な事実なのであって、
人間の自由な意志はもはや一つの幻覚、単なる仮象でしかない。」
(「自由について」の草稿)
・「技術的には効率が落ちる社会を意味するとしても、
生の充足(fullness of life)を個人に取り戻させるというきわめて重要な課題」

第2章 市場社会の起源
・19世紀的「社会意識」を特徴づける政治経済学や
市場経済に適合的な人間観と社会観は、
スピーナムランド時代の救貧法論争を通して生まれた。
ポランニーは、この社会意識の誕生を、フランス革命と並ぶ
人類史における画期的な事件と位置づける。
・ポランニーのスピーナムランド解釈は、経済的自由主義の社会福祉批判
−アルバート・O・ハーシュマンの表現で言えば、
「福祉が依存と貧困をつくりだす」といったような「逆転命題(perversity thesis)−
に先取りして挑戦するものだった。
・ポランニーによれば、急激な社会的変化の真の原因は、
産業革命の進行を加速させる目的のために、
従来の共同体的社会から市場経済への「転換」を積極的に推進したことにある。
・機械使用のための決定的な条件は、
社会の自然的実在と人間的実在、つまり自然と労働を商品に転化し、
これらの生産要素を市場で購入できる商品に「転換」させることである。
また、社会構成員の行動動機が生存動機から利得動機に変化すること、
さらに、あらゆる所得が販売から生じるようになることが必要である。
すなわち、機械を生産に使用するには
市場社会が生み出されなければならないのである。
・普通の人びとが社会的存在としてそこに埋め込まれていた
社会的・文化的な制度が解体され、
自尊心を持つ人びとが誇りを失い堕落した怠惰な存在へと急変する事態を、
人類学者の用語を借りて「文化的真空」あるいは文化的破壊として捉え直す。
・救貧法史が示すように、マルサスの救貧法批判の主張は、
1834年の新救貧法の制定を準備した救貧法調査王立委員会の報告書に
大きな影響を与えた。
・マルサスは救貧法問題を、社会における構造的問題から
自然法則に従う生物学的問題へと転回させた。
・ポランニーは、こうした
「キリスト教精神に基づく相互扶助の原則」が解体されて
初めて「自助の原則」に基づく市場社会への転換が可能になった、
という解釈を展開している。
・(ハンナ・)モアが中心となって刊行したパンフレット
『廉価版 知識の宝庫』において、
「もし一生懸命努力する気持ちがあるなら、どんなに劣悪な生活条件にあろうとも
それが自活への道の妨げとなることはめったにないのであり、
けっしてみすぼらしい暮らしが多くの善行を積む邪魔にはならない」と説く、
「救貧への説法」である。
・オウエンは『新社会観』(1813-1816)のなかで、
(1)貧困と犯罪の原因が社会にある、
(2)反対に、富裕や幸福の原因もまた社会にある、
(3)救貧や犯罪者を個別に責め立てて
個人の自己責任の原則と国家による厳罰化を徹底しても、
社会の大部分の人びとは貧困や犯罪から抜け出せない、
(4)他人の不幸と切り離して自己の私的な幸福を自由に追求できるとする
個人主義的な見解は、先行する社会や制度から受け取った無知な偏見である、
(5)宗派やセクトの枠を超えて真の隣人愛を人びとのあいだに創出すること
―コミュニティの創出―は貧困や犯罪のような社会的問題の解決に通じている、
といったことを主張した。
・ポランニーによれば、オウエンが提起した「自由の限界」とは、
社会における「必然的で避けることができない悪」のことである。
・ポランニーが捉えたオウエンの意義は、
工場制度の出現によって打ちひしがれた普通の人びとが
「人間が機械の主人になるような生活様式の発見を渇望していた」、
ということを彼が深く理解してことにある。

第3章 市場ユートピアという幻想
・労働、土地、貨幣はもともと販売のために生産された商品ではない。
ポランニーによれば、市場経済は、労働、土地、貨幣を
あたかも商品であるかのように取り扱う「商品擬制」という仕掛けが
作動するかぎりにおいて、機能しているのである。
・工場における生産の連続性を確保するという要請から生まれた市場経済は、
国家の介入によって、労働市場、土地および農産物の市場、貨幣市場といった
擬制商品市場を確立したのであり、商品交換の自然発生的で漸進的な発達の産物ではない。
・ポランニーが強調するのは、市場経済は、経済的自由主義が想定するように、
交換性向という人間の本姓に由来する商品と商品の交換の発達を通じて
自生的に生まれたのでなく、国家の干渉によって意識的に生み出されたものである、
ということだ。「自由放任経済は、国家による意図的な行動の産物であったが、
その後の自由放任に対する制限は、自然発生的なかたちではじまった」
・このような多様な人びとに関わる利害は階級的利害ではなく、
職業上の地位や安全と保障、生活環境の安定などに関わる「社会的利害」である。
・市場化と産業化の進展によって危険に脅かされた社会的利害を
社会的・文化的破局という危機に結びつけて理解することが、
社会的保護がめざす目標を理解するうえで決定的に重要である。
・「文化的破局」とは、
異なる社会相互間あるいは異なる人種間の文化的接触から生じる、
相対的に弱い側あるいは敗者になる側の
破滅的な道徳的退廃を説明する人類学者の用語である←トゥルンヴァルト
・市場社会の形成と発展がつねに、
普通の人びとの社会的存在が埋め込まれて
(まだ残存している)共同体的諸制度や非契約的社会関係の崩壊と
それに伴う文化的破局を引き起こすこと

第4章 劣化する新自由主義
・市場メカニズムが十分に機能しないことが、
1870年代から1930年代までの緊張と不均衡の累積的増加の
もっとも深部にある直接的原因であった。
・市場経済拡張の担い手としての金本位制は、
国際貿易の拡大と保護主義の強化という
二重運動を発動させてしまった
・歴史家E・H・カーが『ナショナリズムの発展』で指摘するように、
20世紀の初頭までには、19世紀を特徴づけた
「二つの国民」(金持ちと貧民)の溝が小さくなり
労働者も普通選挙制度や社会立法を通して
一つの国民に統合されるようになった。
そしてポランニーが注目するように、
国民統合において決定的な役割を果たしたものの一つが、通貨であった。
他の保護主義政策とくらべて経済変化に迅速に対応できる金融政策は、
企業家、組織労働者、家庭の主婦、農場経営者、子どもの将来を案じる親、
結婚を待ち望む恋人たちといった、社会の構成員一人ひとりの利害に影響を及ぼし、
彼ら・彼女らの選択と行動に重要な指針を与えるに至った。
ある種の国民的一体性が、中央銀行によっても与えられていたのである。
・列強諸国のさまざまな保護主義は、
世界市場システムを弱体化することにつながった。
ある国の輸入関税は他国の輸出を妨げるので、
それらの諸国は政治的・経済的に弱い立場にある地域に
市場を求めることを余儀なくされた。
・通貨の対外価値を維持するためのデフレ政策と緊縮財政は、
失業による貧困や職業上の地位の喪失といった、
市場経済の拡大に伴う経済的・社会的苦痛と同じものを
政府の干渉によってつくりだしたばかりか、
市民的自由や国民の権利の差し止めまでも要請した
・とりわけ、弱い通貨と巨額の債務を抱えたヨーロッパの敗戦国は、
デフレーションによってやせ衰えただけでなく、
1920年代前半には社会主義勢力が大きく後退し、
議会制民主主義を維持することもできなくなった。
言い換えれば、民衆が、
一方では市場経済の運命に耐える自由から逃走し、
他方では民主主義に対する信頼をも失う、
という「非常事態」が出現ことになった。
この非常事態のなかで、
民主主義が弱体化している諸国ではファシズムが急速に浮上した。
・経済的自由主義の力の源泉は、その論理において、
競争的労働市場の柔軟性を弱めるものに
あらゆる経済的不調和の責任を押し付けることができるところにある。
・リーマンショックを通じて明らかになった
投機的で不安定な金融市場の暴走がもたらす経済危機の問題は、
新自由主義的な金融・財政政策や社会政策にほとんど影響を与えなかった。
第5章 市場社会を超えて、人間の経済へ
・市場概念の支配から思考を解き放つという課題は、
社会を形成する人間の自由を取り戻す重要な作業の一環を構成するのである。
・貨幣の制度主義的分析
A支払い手段
B価値の尺度標準
C富または財宝の蓄蔵手段
D交換手段
・非市場経済における貨幣使用の制度的起源として、
次の点が重要であるという。未開社会やアルカイックな社会では、
貢物や犠牲の必要、求婚や婚姻、犯罪や罰金といったことから発生する
非経済的な性質の債務の解消が、(A)支払い手段としての貨幣の用途の起源となった。
非常に複雑な規範的な債務や負債は、
歌唱やダンス、饗宴、哀悼、自殺などの行為によって、
あるいは、動物や奴隷、食料、貝殻の飾りのような物的なものによって支払われた。
(B)価値の尺度標準としての貨幣の使用は、
古代帝国の広範な再分配制度のもとで、
徴収された食料などの基本物資を管理する必要から発達した。
(C)富の蓄蔵手段としての貨幣の使用は、将来の飢饉に対する備えや、
現物で生活資料を提供することによる軍事力および労働力の使用と関連している。
(D)交換手段としての貨幣の使用は、個別的な物々交換の行為からではなく、
組織された外交貿易と関連して発達した。
・ポランニーは市場社会の貨幣を「多目的貨幣」、
非市場社会の貨幣を「特殊目的貨幣」と呼んでいる
・ヘシオドスはそのような「鉄の時代」の荒廃したポリスのなかで、
民衆に対して生き延びるための「新奇な」助言を行った詩人である。
「無為こそ恥である」として、
ヘシオドスは飢えを避けるための唯一の手段として労働を推奨し、
さらに節約をも命じた。
またヘシオドスは、「競争が労働の刺激になるという考え方」も提示していた。
「飢えを避けることこそ、それが人生の意味」であると言い切ったヘシオドスは、
他人に頼らず誰も信用せず、禁欲的に自ら勤勉に働き
納屋をいっぱいにするしかない、と提言した。
・民主主義によって経済の領域を制限することで、
責任を通しての自由(社会的自由)を
(経済を含む)社会的な規模で実現することを、
ポランニーは社会主義と呼んだ。
・人間関係が貨幣(カネ)によって結合されていることのために、
自己の行為が他社に与える影響が見通せなくなり、
人びとが自分の行為の影響に対する倫理的責任を負えなくなっている、
という現実に批判的であった。

終章 人間の自由を求めて
・ポランニーによれば、ハイエクやミーゼスなどの経済的自由主義者は、
「経済を契約的関係と、そして、契約的関係を自由と同一視した市場的な社会観」
に立っているために、
「人間の意志と願望だけで形成された社会」を想定するという幻想に陥り、
「人間社会において個人の自由意志から生み出されなかったものはなく、
したがって再び個人の自由意志によって取り除けないものはない、
という根本的な誤謬」を犯している。
・市場社会は複雑な社会であり、
人びとの資産所有者、生産者、消費者としての選択的行為が
意図せざる影響として失業や貧困や倒産といった
社会における経済的苦難(過酷な自由の制限)を
生み出しているにもかかわらず、
人びとは自己の行為の因果関係を見通すことができないので
「自分は誰にも迷惑をかけていない」と考えることができるのである。
市場経済は人びとに、自己の経済的行為の社会的影響に対する責任から
自由であることを許容している、と言うこともできよう。
より根本的には、複雑な社会においては、
人びとは「意見や欲望」を表明することを通して
他の人びとの精神的・物質的生活を制約する
権力と経済的価値の創出に巻き込まれているにもかかわらず、
そのような創出への加担の責任を問われることがないのである。
このように「人間社会において個人の自由意志から生み出されたものはなかった」
と考える経済的自由主義は、人びとの行為の思わざる結果として、
いわば免れることのできない事実上の共同作業(cooperation)を通して
形成される権力と経済価値について説明することができず、
その存在理由を否定するほかない。
・「自由であるというのは、典型的な市民のイデオロギーにおけるように
義務や責任から自由だということではなく、
責務と責任を担うことによって自由だということである。
それは[中略]免責の自由ではなく自己負担の自由であり、
したがって、そもそも社会からの解放の形態ではなく
社会的に結びついていることの基本形態であり、
他社との連帯が停止する地点ではなく、
社会的存在の逃れられない責任をわが身に引き受ける地点なのである。
←「自由について」(1927) ・市場経済に埋没している人びとは、
各人が入手する「すべてのものが、もっとも内奥の自我に至るまで、
他社に由来し、他社に負うもの、借りているもの」である、
という人間相互の社会的関連を洞察する機会が奪われていて、
社会の認識を欠いている。
それゆえ、自分の選択や行動が他社に及ぼす結果に対して
責任をとることができない市場社会では、
責任と義務を担うことを通しての自由が制限されているのである。
・ポランニーにとって真の自由とは、社会的自由である。
・『大転換』最終章における計画と規制を通しての自由の拡大の議論を、
責任と義務からの自由(逃走)という経済的自由主義の個人的自由よりも
倫理的に優越するような、責任と義務を担うことを通しての自由の拡大
という社会的自由の概念と結び付けて理解することが、
ポランニーにおける自由と福祉国家の関係を考えるうえで不可欠であるように思われる。

あとがき
・ニーバーの「平静を求める祈り」は、
(1)「変えることのできないものを受け入れる平静」、
(2)「変えるべきものを変える勇気」、
(3)「変えることのできないものと変えるべきものとを識別する知恵」を、
神に乞い求める。



 
 

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