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『通過儀礼』
A.V.ジェネップ 著 秋山さと子・彌永信美 訳
1977年刊 新思想社



 


儀礼研究の父―ジェネップによる儀礼分析の出発点
様々な儀礼の原理(分離・移行・合体)に迫る古典的名著である


以下、本文より


第1章 儀礼の分類

・ アニミズム的儀礼
共感儀礼   感染儀礼
積極的儀礼  消極的儀礼
直接儀礼   関節儀礼
 ディナミズム的儀礼
・ディナミズムは、マナ(ma-na)の非人格論を指し、
アニミズムは、単一または多数の魂(ame)の力、植物(トーテム)、
擬人的もしくは無定形(神)の力のいずれかにかかわらず、
こうした力が人格化される人格化理論を指す。
これらの理論は宗教を構成するものであり、
その技法(儀式、儀礼、祭祀)を私は呪術とよぶ。
こうした実践と理論は分けることができないものであるから、
―実践のない理論は形而上学となり、異なる理論にもとづく実践は科学となる―、
私はあらゆる場会に呪術―宗教的(magico-religieux)という形容詞を使う。


第2章 具体的通過

・この種の地帯は古代、特にギリシャでは重要な役割をもっており、
市場を開く場所や戦場として使われていた。
同様な中立地帯の制度は半未開のところでも見いだされるが、
しかし、そこでは占有されている地域が数少なく、
またその人口も少ないために、境界はより漠然としている。
中立地帯は普通、砂漠や湿地帯、
そして誰でも旅行し狩りをする完全な権利のある処女林などに
置かれることが最も多い。
聖なるものの概念の反転現象によって、中立地帯にいる人にとっては、
両側の占有された土地が神聖とされ、
またそれらの地域の住人にとってはその中立地帯が神聖なものとされる。
・他方に移る人は誰でも、しばらくの間は具体的にも、
呪術―宗教的にも、特殊な状態におかれる。
すなわち彼は二つの世界の間をゆらゆら揺れているのである。
この状態こそが移行(marge)と呼ぶもの
・以前の世界からの分離の儀礼を前リミネール儀礼(rites preliminaires)、
移行段階の間に行われるものをリミネール儀礼(rites liminaires)、
そして新しい世界への加入の儀礼を後リミネール儀礼(rites postliminaires)、
よぶように提案したい。
・注意すべきことは、普通、正門のみが特別の儀礼によってきよめられているか、
また吉報に面していることによって、
入ることと出ることの儀礼の場となっているということ、
そして他の開口部は家庭内の世界と、
外の世界との間の移行点としての性質(caractere de marge)を
もたないということである。


第3章 個人と集団

・詳細に記述されているオーストラリアの例をあげよう。
復讐の履行を義務づけられている集団は、
最初に一般社会から自らを分離し、
彼ら自身の単一性(individualite)を獲得する。
その集団は、この一時的な単一性を取り除いて、
再統合する儀礼を遂行するまでは社会に編入できない。
復讐の目的はある種の養子縁組と同様に、
ある一点において破壊されてしまった社会的統一を再生させることである。
その要素のいくつかに通過の儀式との類似が認められるのはそのためである。
復讐や戦争の終わりに行われる儀式(平和の儀式)は、
親睦や、よそ人の集団を受け入れる儀式と同様である。
・最後に神や神々の集団への結合の儀礼についてもこの章でふれておくべきであろう。
ユダヤ教の逾過(すぎこし)の祭り(Paque この言葉自体が通過を意味する)は、
ある種の収斂の過程を経て、一方では季節の移行の儀式、
他方ではエジプトからからの脱出、
バビロニアの通過とエルサレムへの帰還を記念する儀式へと
関連づけられるに至った合体の儀式の一つと見なされる。


第4章 妊娠と出産

・娘がこどもを生み、それによって生殖が可能であることを
証明するまでは結婚できないことがある
←フィリピン ボントク・イゴロート族 他


第5章 誕生と幼年期

・新生児は「神聖なもの」と考えられているだけではなく、
「そこにいる人すべての祝賀を得た後に、はじめて生まれることができる」のである。
←モロッコ レハムナ族
・大地は象徴的な意味での母としてではなく、
死者の故郷であるのと同様に、
具体的な意味でこどもたちの生まれる前の故郷でもある。
誕生儀礼のいくつかと、
葬送の儀礼のいくつかの細部に類似が認められるのはそのためである。
・生まれてくる魂は土の下や岩の中に住んでいる。
多くの民族もまた、魂は木、叢、花、野菜、森の中などに住むものと信じている。
生まれる前のこどもたちは、最初は水源、湖、そして流れの中に
住んでいるという考えもまた同様に広く普及している。
・福建地方の幼年期の儀式は、次のように概略されよう。
まず、注意しておくべきことは、中国のこどもは男女とも、
16歳になるまでは「娘娘(ニャンニャン)」と呼ばれる神格の
特別の保護下におかれること、また女子は男子よりも
社会的に低く評価されているにもかかわらず、
儀式に関しては男女とも同様であるという点である。
・永久歯が生え始めると、こどもは「睡眠を自分のものとした」
と見なされ、そのために母親がこどもとともに使っていた
寝床の敷藁を未開墾の土地に秘密に焼きに行く。
・こどもが命名される時、彼は、(1)個人化され、(2)社会の中に合体される。


第6章 イニシエーションの儀礼

・包皮を切断することは、(オーストラリアなどの)抜歯、
小指の最後の関節から上の切断(南アフリカ)、耳たぶの切断、
いれずみ、皮膚の乱刺、または毛髪を特別な型に切ることなどと
まったく同じ価値を持つものとして考えられねばならない。
・聖なる小屋の建造。こどもは一片の板の上に縛られ、
また儀式の続いているあいだじゅう、
個性をまったく失ったかのようにふるまう。
←オジブエ族の「ミデ士団」
・北アメリカにおいてもオーストラリアにおいても、
イニシエーション儀式の中心的行為となっているのは、
イニシエートされるものに、彼らの幼年時代の
「おばけ」(Croquemitaines)が、実は単なる聖物
―オーストラリアではうなり板、アメリカでは仮面―
にすぎないことを示すことだけだということである。
・娘を神格に捧げる儀式は、ごく細部における相違以外には、
普通の結婚式の儀式と異ならないのである。
・破門と聖別は同一の原理―ある一定のもの、または人間を、
他のもの(人間)から引き離すという原理―にもとづいている
・見習い期間のあいだ、[イニシエートされる]若者たちは、
彼らの思うままに盗み、略奪し、または共同体にまかなってもらって食べ、
身体を飾ることができるのである。
・社会全体に及ぶ放縦と社会生活の中断は、
王位の空白期間、および暫定的葬いと最終的葬いのあいだの
移行期間にも認められるということである。


第7章 婚約と結婚

・多くの民族のあいだで、この期間(婚約期間)は結婚儀礼の中で
特殊かつ独立した部分をなしている。
ここには分離儀礼、移行儀礼が含まれ、
それは新しい環境への準備合体儀礼、
或いは独立した環境と見なされた移行期からの
分離で終わりが告げられる。
・こどもが不浄の(タブーとされた)期間にはらまれたことからくる
特性と欠点を持ち続けるものと考えられていることを示しており、
特に興味深い
・離婚によってこれほど容易に断ち切られる絆が、
死によってほんの少しゆるむだけか、
或いはそのままで残る(寡婦の自殺)ということは、
注目すべき事実である。


・第8章 葬式

・生者の社会にいまだ合体されていないこどもが、あの世での範疇に入らないのも当然
・葬いの儀礼が行われなかった死者、また未だ洗礼を受けずに死んだこども、
命名される以前、イニシエーションを受ける以前に死んだこどもの魂は、
死者の世界に入ることも、その社会に合体することもできず、
みじめな生き方を運命づけられている。
これらの死者は、同時に最も恐るべきものである。
彼らは、生者の世界に再び合体することを望み、
それができないので敵対的なよそ人と同じようにふるまう。
また彼らは他の死者のように、あの世での生活手段を持たないので、
生者にたよってそれを得ようとする。
そのうえ、これら住む場所も持たない死者たちは、
しばしば、激しい復讐の念にもえている。
この意味で、葬いの儀礼は同時に長い期間にわたって
役に立つ実利的な儀礼でもある。
・死者のあの世への合体儀礼ついて言えば、
それらがよそ人の歓待(hospitalite)、氏族への合体、
養子縁組などの儀礼と同価値のものである


第9章 その他の通過儀礼群

・髪を切るということは、それ以前の世界から分離させることであり、
次にそれを捧げるということは、聖なる世界、特にある神格、
または鬼神に自分を結びつけ、その同族となることである。
・「神々を礼拝する時、人はなぜヴェールをかぶるのであろう」と
プルタルコスは自問している。解答は簡単である。
それは、俗なるものから自らを分離するためであり
―なぜなら、シャンマール族について述べたように、
視覚はそれだけで一つの接触であるから―、
そうして聖なる世界のみに生きるためである。
・動物のとの性交の持つ呪術
・非常に多くの民族において、死の起源、またはその人間界への導入が、
月によるものだと考えられている。
・巡礼者は彼の家を出たその時から、
聖なる性格、イフラーム(ihram)とよばれる特殊な状態に入る
。 ←イスラム教


第10章 結論

・まず我々は一人の個人が同時に、または次々と、
様々な範疇に分類されること、そしてその範疇の一つから、
別の範疇に分類されている人々と合体するため、
他のものへと移る(passer)には、
生まれたその日から死の瞬間に至るまで、
形態においてはしばしば様々であるが、
機構において類似した一連の儀式を経なければならない
・各種の集団にとっても、個々の人々にとっても、
生きることはたえまなく分裂し、再構成し、
状態や形態を変え、そして死んで再生することの連続なのである。
それはま行動したあとに中断し、待機、休息し、
次に前とはちがうやり方で行動を再開することでもある。
そしてのたびごとに、新たなしきいを踏み越えねばならない
―夏や冬のしきい、季節や年のしきい、月や夜のしきい、
或いは誕生、青春、青年時代のしきい、老年のしきい、
死のしきい、そしてそれを信じるものにとっては、
あの世へのしきい。
・それらの配置は、その傾向において、
すべての場合同一であり、多くの形態の下に、
意識的に表現されているか、または潜在的にのみ認められるかは別として、
常に一つの類型的な次第、すなわち通過儀礼の図式が見いだされるのである。



 
 

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