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『経済の文明史』
カール・ポランニー 著 玉野井芳郎・平野健一郎 編訳/石井溥・木畑洋一・長尾史郎・吉沢英成 訳
2003年刊 ちくま学芸文庫


ポランニーの著作集で10編が集められています。
内容は「市場社会とは何か」「現代社会の病理」「非市場社会をふりかえる」
という三部に分けられています。
この中で特に注目されるものとして
第三部の経済の歴史研究があげられるでしょう。
ハムラビ時代やアリストテレスの時代に「経済」がどうとらえられていたか。
それが現代とどう違うのか。
それによって現代の特殊性、「人間の経済」の普遍性が浮かび上がります。
そして
「唯一無二のフレーム・オブ・レファレンスとしての市場は、
市場制度そのものに関してさえ少々時代遅れなっている。
しかし、市場そのものをその一部として理解することができるような、
より広いフレーム・オブ・レファレンスを発展させることに
社会科学が成功しない限り、
一般的なフレーム・オブ・レファレンスとしての市場
を 乗り越えるものは現れないであろう。」
と述べています。
しかし、数字を突き詰めることで語られる<市場経済>とは、
社会の科学そのものであるようにも思えます。
であれば、社会科学が市場を乗り越えるには
社会科学が科学ではなくなるような地点から
語り始められなければならないのかもしれません。

 



以下、本文より・・・

・市場メカニズムが人間の運命とその自然環境の唯一の支配者になることを許せば、
いやそれどころか、購買力の量と用途の支配者になることを許すだけでも、
社会の倒壊をみちびくであろう。
・市場メカニズムが産業の本質的な要因―労働、土地、貨幣―にまで拡大したことは、
商業的な社会に工場制度が導入されたことの不可避の帰結であった。
産業の諸要因は売買されるものでものでなければならなかった。
・人間社会は経済システムの付属物と化してしまった
・19世紀の社会史はひとつの二重運動の産物であった。
すなわち、本来的商品に関する市場組織の拡大が、
擬制商品に関する市場組織の制限化を伴ったのである。
・われわれが今新しく直面している問題は、
人間生活をどう組織するかということである。
・漸進的に環境を人口化していく試みは、
勝手に放棄することができないし、放棄されないであろう。
また、実際に放棄すべきでもないのであるから、
人間が地球上に生存しつづけるつもりなら、
そのような環境のなかでの生活を
人間存在の要求に適合させる仕事を成し遂げなければならない。
・この新しい「経済的動機」の世界は、一つの誤謬のうえに築かれていた。
飢餓にしても、利得にしても、それは本来、愛や憎しみや誇りや偏見と同じく、
「経済的なもの」ではない。
人間の動機には本来経済的な動機というものはない。
人が宗教的、美的、あるいは性的な経験をするのと同様の意味での、
独自な経済的経験などはないのである。
・人間の経済は原則として社会関係の中に埋没しているのである。
・トーニーが警告した「獲得的社会の病い」の根源である。
そして、1世紀前にロバート・オーウェンも利潤動機は
「個人の幸福と公共の幸福にまったく有害な原理だ」と述べたが、
この時彼の天才は最高潮に達したというべきであろう。
・国家消滅に関しては、産業社会は複合社会である、
いかなる複合社会の存在にも組織的な中央集権が必要である
・いかなる社会に住んでいようとも、
意見と欲望によってわれわれは権力の創出と価値の形成に
参加させられるのである。
・われわれの世代の眼に資本主義の問題と映るのは、
実は、産業文明というはるかに巨大な問題なのである。
・「銀貨はどんな大きさのものでもよい。けっして突き返される恐れはない。
ひとたび投げると、この銀貨は神聖なものとなるので、
それは突き返してはならぬ掟になっている」
→バビロニアの神殿の義務売春制
・支払いに独自の起源があったというような観念はきえていき、
支払いが経済的取引から生じたのではなく、
一千年の間に宗教的、社会的、あるいは政治的な責務から
直接生まれたものであることが忘れ去られる。
・財宝は「高価品」や儀礼品を含む、威信用の財からなっていて、
それを所有するだけで社会的な重さ、権力、影響力が
その人に与えられるものである。
・基本物質または他の基本物質が「より好まれる交換手段」、
すなわち、われわれなら貨幣と呼ぶべきものに
発展していかないように注意が払われていたのである。
・アメリカは、安い人的資源と安い商品の流入を禁じることによって、
みずからの生活水準をヨーロッパの圧力から守ることができた
・1929年にはアメリカとフランスが
あわせて世界の金貨のほぼ58%を所有していた
・ファシズムの勝利は、社会主義の倒壊であるだけでなく、
キリスト教が、その堕落しきった形態を残して、終焉を迎えることでもある。
・歴史的には、ニーチェもドストエフスキーも、
孤高の天才ゼーレン・キエルケゴールによって先んじられている。
キエルケゴールは、苦心して独特の弁証法を用い、
彼ら二人より一世代も前に自立的個人を創出し、
さらにそれを消し去ったのである。
・幾何学の図形がもつさまざまな属性にも似て、
人間が平等であると述べることと、人間が霊魂をもっていると述べることは、
まさに一つなのである。
個人を発見することは人類を発見することにほかならず、
個人の霊魂の発見は共同体の発見にほかならない。
・人間という観念と社会という観念を別個に取り扱うことはできない。
・革命的社会主義は、ほぼ2000年にわたって
西欧で一般に受け入れられてきた真理を、
異なった形で表し、より厳密に解釈したものにほかならない。
そしてファシズムはその否定である。
・友情でさえも、二人の人間のあいだの直接の関係ではなく、
共通の友情なるものに対して彼らが共に関係しているということなのである。
・発達した市場社会では、労働の分配が入り込んでくる。
人間の関係は間接的になり、直接的な協同の代わりに、
商品の交換という媒介による協同が存在するようになる。
・人間の本性は資本主義に反逆する。
人と人との関係こそが社会の真の姿であって、
労働の分割があるとしても、人間の関係は直接的でなくてはならない。
・ファシズムの思想は、現実には生気論と全体主義の
二つの極のあいだを絶えず揺れ動いている。
・生気論は生命が意識なしで機能すると主張しており、
人間の真の姿は、人格をそなえた個人とならないようにする
能力のうちに求められている。
・もっとも初期の銀行業者が出現したのは、歴史的には、
鋳造貨幣が一般的に使用されるようになるより前だったのである。
・市場交易とは対照的に、ここでは、そうした活動には、
価格の期待についてもリスクがなく、債務者の支払い不能のリスクもないのである
→管理交易あるいは協定交易と市場交易
・近代社会とは対照的に、古代国家では、
私人に対する義務は必ずしもつねの厳格であるとは限らないのに対し、
公人に対する義務は「法的に厳格」である。
・事業が行政のレールに乗ってリスクなしに行われる状況では、
「取引(トランザクション)」という言葉はほとんど当てはまらない。
われわれは、そこで、この型の活動を
「処分的な(ディスポジショナル)」活動と名づけようと思う。
・伝統的な考え方とは反対に、バビロニアの交易と実業活動は
元来は市場活動ではなかったのである。
・人間の経済は人間の欲望や必要の無限性
―今日の用語でいえば、希少性の事実―
から派生するものではなかったのである。
・アリストテレスの著作には、文明に初めて登場した初期市場交易の、
しかも原初的な特色についての目撃者の証言がある
・経済が、社会との関連で、社会に埋めこまれた(エンペデット)状態にあるか、
社会から離床した(ディスエンペッデット)状態にあるかという区別
・「身分」ないし「ゲマインシャフト」が支配的なのは、
経済が非経済的制度に埋めこまれている場合であり、
一方、「契約」ないし「ゲゼルシャフト」が特徴的となるのは、
独特の動機づけをもつ経済が社会のなかに存在する場合である
・経済には、人間の動物的生存のための食糧供給の重要性を伝えるような、
いかなる言葉からも名前は与えられなかった。
・互酬性は妥当な呼応行為を求めるのであって、
数学的な等価を求めるものではないのである。
・経済的な目的も意味も考えられない交換が成立している
・共同体と自給自足と公正―これがアリストテレスの社会学の軸をなし、
経済の本質、政策問題、そのほか何が問題になっていても、
経済問題すべてに関する彼の思考の
フレーム・オブ・レファレンスとなっていたのである。
・アリストテレスにとって奴隷制は「自然」
・最古ではないかもしれないが、
最初の都市市場の一つがアテネのアゴラにほかならなかった
・ミダスの伝説よると、
フリギアに大量の砂金が存在したのが紀元前715年頃であり、
一方、サルディスでは、市場をバクトロス川という砂金のある川が横切っていたという。
・食糧市場の問題が市場の沢山の問題になって現れたのである。
・スパルタ政府は、戦地の軍隊を指揮する王とともに、
非軍人の「戦利品販売人」委員会を派遣した。
・建築師の仕事は靴直しの仕事の何倍かの物と交換された。
そうでなければ、互酬性が損なわれ、共同体は保持されなかった
・取引価格は、当事者の一方を犠牲にして他方に利潤をもたらし、
したがって、共同体を強固にするどころか、
その緊密性を破壊するものなりかねなかった。
・「国家の存在そのものが、
このような比例的な互酬性の行為によっているのであって・・・
それが行われなければ、分与など生じえないが
われわれを互いに結びつけているのもその分与行為なのである」
→アリストテレス『倫理学』
・商業的な交易を発展させたのはハムラビ王のバビロニアではなくて、
ギリシャと西アジアのギリシャ語圏であったが、
しかし、それは千年以上ものちのことであった。
・この種の交易法を
「管理交易(アドミニスター・トレード)」の一形態とするならば、
これに対するヨーロッパ側のきわめて異なった交易法は、
「市場交易(マーケット・トレード)」と呼ぶことができる
・ヨーロッパ人は、人工的な交易単位を発達させた。
それは、種々さまざまな交易品を加え合わせて
奴隷一人と等価とすることによって、
会計的な方法を多様な交易品に及ぼすことを可能にしたのである。
・「経済的」という言葉の二つの根源的な意味、
すなわち実体的な意味と形式的な意味とに共通な部分はまったくない。
・過去2世紀のあいだに、西ヨーロッパと北アメリカでは、
たまたま選択の法則だけが顕著に適用されような
人間の生計の組織化が行われた。
この型の経済は価格決定市場というシステムから成り立っており、
そのようなシステムのもとで行われる交易行為は、
手段の不足によってひき起こされる種々の選択行為に
行為者を巻きこむのである。
そのため、このシステムは、「経済的」ということの
形式的意味にもとづいた方法を適用しやすい型に単純化することができたのである。
・形式的経済学と人間の経済との関係は、結局、偶然的なものである。
・社会のなかに経済が占める位置の変化の研究は、
したがって、経済過程がさまざまな時と場所において制度化される、
その方式の研究にほかならないのである。
・そこでは、一つの統合形態の優位性が、
社会のなかでそれが土地と労働を
どの程度包含するかということと同一視されている。
・今世紀には、金本位制の廃止にともない、
市場の世界的役割が19世紀の頂点から下降しはじめた。
・自然が区別しておいたものを、市場は均一にしてしまう。
財とその輸送のあいだの違いでさえも曖昧にさせられる
・唯一無二のフレーム・オブ・レファレンスとしての市場は、
市場制度そのものに関してさえ少々時代遅れなっている。
しかし、市場そのものをその一部として理解することができるような、
より広いフレーム・オブ・レファレンスを発展させることに
社会科学が成功しない限り、
一般的なフレーム・オブ・レファレンスとしての市場
を 乗り越えるものは現れないであろう。


 
 

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