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『経済を読み解くための宗教史』
宇山卓栄 著 
2015年刊 KADOKAWA


宗教史にも当然、その時代時代の経済的背景がある。
しかし経済だけですべてが決まるなら
宗教そのものが不要になるので
宗教と経済はいつも歴史の道連れであった、
というくらいに解釈しておくのがいいだろう。
それならウェーバーの顔もマルクスの顔も立つ。



 



以下、本文より・・・

・「人を見れば泥棒と思え」という社会では経済活動を営むことはできません。
「隣人を愛し、敬え」という宗教規範が優先する社会であってこそ、
経済活動は成立します。
・イスラムのクーデタは、実質的にクライシュ族が
貧困層を巧みに取り込んで、他の豪族一門を駆逐するための戦いであった
←ムハンマドの一族
・真理の宗教を受け入れられない者たちとは、
彼らが卑しめられて手ずからジズヤ(税)を支払うまで戦え
←「コーラン」9章29節
・その建築が単なる浪費に終わってしまうと、人々の信仰は急速に失われます。
建築が公共事業としての意味を持ち、建設従事者の大量動員などで、
農業、産業、商業に至る経済圏の拡大が生じ、経済成長の恩恵が
人々に実感されなければ、宗教は持続可能なものとはなりません。
・アンコール・ワットをはじめとする各地の巨大寺院の建設が
発展成長のための誘因として、機能的に経済の流動システムに組み込まれました。
成長の波及効果を見込んだ富裕層は、積極的に寺院建設に「投資」(=寄進)します。
寄進によって、王朝から様々な商業的な利権や
土地開発・開墾の許可権を与えられる見返りで、
中世カンボジアの「投資」経済が巨額のリターンを求め、
縦横に駆け巡っていました。
・帝国の全盛期には、成長する経済が利害調整のための潤滑油でしたが、
ひと度、成長が停滞し、富の分配が十分に行き届かなくなると、
優れた制度や法理も機能しなくなってしまいます。
・主権(sovereign ソブリン)という言葉は、
ヨーロッパ人にとって、宗教的な文脈を持つものです。
神が指針を与えなくなった世界で、
現世の人間自らが主体的に決定する権利を有することを意味しているからです
・神が人間に譲り渡した至上権こそが、
ソブリンsovereignであり、いわゆる日本語でいうところの「主権」です
・国家主権がその意思によって、返済の義務を保証する約束手形、
これが国債、つまりソブリンなのです。
国債は国家の主権が直接反映された証文であり、
国家の主権性によって、人々の信用を得た貨幣に代替する
至上の(superanus)価値を持つものとして、認識されるようになりました。
・財政の規律を守り、ソブリン=国債の価値を保つことは、
国家のソブリン=主権を保つことであり、
神の至上性に適合することでもあるのです。
・当時、ヨーロッパでは貨幣経済が浸透し、
景気も良く、カネ余り現象が慢性化し、
ドイツも例外ではありませんでした。
行き場と投資先を探していたマネーが、
有力者への献金へ吸収されて、政治的な力に変わっていきました。
←16世紀、宗教改革前夜
・最も有利な投資として選択されたのが、
贖宥状購入による政治献金だったのです。
・教皇を中心に、既得権を形成していたドイツの有力者たちへの反発が
それを持たない人々に共有され、プロテスタントの勢力を拡げていきました。
・金権体質を批判されたローマ・カトリックも、
それを批判した側のプロテスタント諸侯も、
結局はカネの問題に悩んでいたのであり、
宗教や信仰という本来の目的とは乖離した経済的な利権闘争に奔走していたのです。
・印刷術というイノベーションによって、伝道者たる聖職者たち、
言わば仲介メディアの存在の役割が不要となり、中抜きされてしまいました。
・一般市民が経済成長の中、富を獲得し、台頭しましたが、
一部の既得権層の市場独占に阻まれ、成長の機会を奪われていました。
そのような独占を一般民衆が打破することの正当性を、
プロテスタントという新しい信仰が保証したのです。
・教会などの組織よりも、神に向き合う個人の内面世界
・カルヴァンは全ての職業は神から与えられたものであり、
それに精励することで得られる利得は神からの恩恵である、
として、利益の追求を認めました。
・従来、忌避された利子取得主する銀行業などが
カルヴァン以降、公的企業として認知され、近代的な金融資本が発展します。
・利益追求が是認され、競争社会における分配の不平等も是認され、
労働の搾取も是認されるための正当な合意は、
宗教的な力の背景なくしては考えられません。
・『宗教と資本主義の興隆』リチャード・ヘンリー・トーニー 1926年
・資本主義は本質的に、自己利益を最大化し、
自由競争を根本原理とする限り、成功者と脱落者が必然的に発生し、
「神の前の平等」という暗黙律に反する現象が起こります。
・ウェーバーの、宗教が経済のあり方を規定した、という主張と、
全く反対のことをマルクスは言っています。
←経済という「下部構造」が支える宗教という「上部構造」
・資本主義的発展の外枠である国民経済と国民国家の概念も
集権国家の形成とともに誕生します
・フリードリヒ・マイネッケは近世以降、
宗教的な統治理念は「国家理性」と呼ばれる
新しい統治理念に交替させられた、と主張します。
・マイネッケは、「国家理性」がグロティウスの思想にも表れるように、
国際的で普遍的な調和の枠組みを完成させる動機となることを認めながらも、
それが自国の利己的な利益追求主義に陥った時、
国粋主義が発生する動機となる危険性を提示しています。
・議会は教会財産を担保に、それを証券化し、「アシニア」という債権を発行します。
「アシニア」はリーブルに代わる紙幣としても通用するようになります。
聖職者民事基本法は、教会財産を担保にした新紙幣発行が
最終的な狙いだったと言えます。
←1790年 フランス
・ロベスピエールは「理性の崇拝」の運動を禁止しながらも、
エベールらの路線を踏襲し、キリスト教に代わる
「最高存在」なるものを打ち出しました。
「最高存在」とは、革命の理念や共和国の理想です。
信仰を排除し、合理主義によって、
新しい社会を作りあげようとしたことなどで、エベールはと共通しています。
・17世紀当時、イギリスだけでなく、ヨーロッパの人口が急増しました。
科学・医学が発展し、細菌という概念が人々の間で共有され、
衛生上の意識が向上して、清潔な生活空間が保たれるようになりました。
これにより、感染症で死亡していた乳幼児の率が急減し、
人口の増大に繋がりました。
イギリスは耕作地が少なく、次男以後の子どもたちに
相続させる土地がありませんでした。
・約300年間、様々な範例が積み重ねられ、
イスラム法の解釈や定義が確立した10世紀に、
先人の意見にそのまま従うことが尊重され、先人の解釈や定義を確定させて、
動かさないことをイスラム世界で取り決めたのです。
これは「イジュティハードの門の閉鎖」と呼ばれます。
・スミスの「見えざる手」は、キリスト教の思想観を
経済社会の調和に適用した試みとして映ります。
ただし、『国富論』の「見えざる手」に、
「神の(of God)」という記述はありません。
単なる「見えざる手」と述べられているに過ぎません。
・彼らの思想の核心にあるものは、
人間には理性が生まれながらにしてある、
とする考え方で、既に17世紀からはじまっていました。
「我思う故に我あり」という言葉で有名な
フランスの哲学者デカルトは主著『方法序説』で、
史上初めて、理性というものを定義しました。
・スミスは、彼らに必要なのは、施しではなく、仕事である、と述べています。
仕事を通じて、社会に貢献することができ、
自分自身が社会から必要とされているという自覚が、人間の自尊心を救済します。
・カントによれば、普遍や超越者というものは、
人間の理性によって必然的に要求されるものであり、
そのようなものが実体としてあるのかどうかは別にして、
人間の理性が自ら持つ形式(働き、習性)によって、
概念として形成されるものであります。




 
 

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