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『金融の世界史』
板谷敏彦 著 
2013年刊 新潮選書



まだ貨幣がなかった太古にも金融は存在し、
貨幣がなくなってしまうであろう近未来にも金融は残り続ける。
だとすれば、長い長い人類史の中で
金融が<お金>のことであったのは
ほんの僅かな期間でしかなかったことになる。
<お金>のない「金融」というのは意味として成立しないので、
この場合「金融」とは<数値化された権力>
と 読み替えるのが適切なのかもしれない。
さらにそれは<人の力を集める力、あるいは方法>の
大規模な展開の連続であるとも言えるだろう。
人々のつながる信仰が神を生み、神が金や銀やダイヤモンドや紙になり、
今は電子の相互承認という信用が人々をつなぐようになっている。
人々の気持ちを融かしてひとつにするのが「融」の意味で、
<お金>とはその始まりから終わりまで
ずっと人々の心を象った人類自身の肖像なのだろう。


 



以下、本文より・・・

・19世紀以前の株主は基本的に無限責任
・17世紀初頭の世界で、金融の最先端にあったオランダ東ンド会社だけは
株主有限責任制だったのですが、徐々にこれが広まり、
19世紀のアメリカで制度として株主の有限責任制が確立されました。

第1章 金利も銀行もお金より先にあった
・メソポタミアでは収穫された麦の何と40%はビールになった
・普段のタブレットは単に粘土を乾燥させただけの物ですが、
重要書類は保存できるよう陶器のように焼いてありました。
古くからは文字による記録がある以上、
メソポタミアで何かが起こると、どのようなジャンルでも世界初の記録
・麦や不動産の売買や在庫の記録など
経済活動にかかわりのある記述が全体の80%を占めている。
・収穫物の再配分の仕組みこそが、
徴税制度の始まりであり、政治の始まりでもあった
・貸借契約は公証人に届けた上で譲渡が可能だった
・1960年ごろのインドでは穀物種子の貸付の場合の利子は二倍返し、
つまり100%の金利が標準でした。
因みにこの当時のインドの通貨ルピー・ベースでの金利は24〜36%でした。
また20世紀初頭のインドシナでは50%。
フィリピンでは、米のライス・ローンが100%
・官によるものを公出挙と呼びその利率は50%
・貴族、社寺による営業目的の私出挙では利率は100%

第2章 貨幣の幻想
・貨幣としてのコインの始まりは紀元前7世紀のギリシャ時代、
小アジアの西部リディアだったとするのが西洋では定説
・素材と完成品としてのコインの価値の差額が
支配者の取り分である通貨発行益(シニョリッジ)
・コインのギリシャ語の「ノミスマ」は法律を意味する「ノモス」と同じ語源
・中国では紀元前13世紀頃から、
子安貝を「贈り物として使う宝物」だとする文書が残っています。
しかし子安貝はそれ以前より、殷王朝からインド、アフリカにかけて
最も原始的な貨幣として使われてきました
・モルディブ産の子安貝はインド洋周辺のみならず
遠くアフリカ内陸部でも古くから、
そして意外にも最近まで貨幣として使われていました。
・この西洋、東洋の初期コインの製造法であり打刻か鋳物かの違いは、
素材の問題もありますが、
言い換えると支配者が広い地域に対して強大な権力を持つか、
あるいは地域に分散された不安定な小さい権力であったかの違い
←リディアは鋳造で素材そのもの価値。中国は青銅で溶かすと価値がなかった
・日本では平清盛による宋銭の輸入が日本の金融史上のトピックになっていますが、
これは中国でそれまで厳しく制限されていたコインの輸出が、紙幣の普及により
解禁されたことと連結しています。
・清朝末期には当時太平洋エリアで広く流通していたメキシコ銀貨が
価値の基準として流通するようになりました。
・彼の二、三世代前の先祖が巨大な石をパラオで削り出し、
持ち帰ろうとしたが、途中で時化に遭い海中深く没してしまっていたのです。
しかしこの時沈んだ石貨の大きさや素晴らしさを証言してくれた人がいたので、
たとえ石貨幣が海の底で眠っていようが交換価値があるものとして
素朴に認められており、そのために彼は島一番の資産家と呼ばれていたのです。
・彼の石貨はあまり値打ちがなかったそうです。
機械を使用したのであまり苦労されずに造られたものだったからです。
物語(値打ち)の裏打ちがなかったのです。
←ヤップ島の石貨を機械で作ったアメリカ人デービッド・オキーフ

第3章 アリストテレスの考え方
・実は商品に密着した派生商品であるデイバティブスの方が、
金融商品としてはよほどプリミティブでなおかつ古い

第4章 中世の宗教と金融
・ユダヤ金融家が幅をきかせるのは18世紀以降の話
・イタリアの商業都市国家には、ローマの契約法的な思考に加え、
ギリシャ的な科学思考、さらにはヒンドゥー、アラビアの数学的思考が交わり、
繁栄の基礎が形成されていったのです。
・ダティーニの帳簿が1384年を境に単式から複式簿記に変化しています。

第5章 大航海時代
・統一されていないヨーロッパには多様な意思決定があったが、
中国は歴史的に古くから統一された政治体制を持ち、
たったひとつの間違った意思決定が
その後の運命を決定づけてしまうという東西の構造の違い
・大航海時代以前のイタリアには、生ハムでメロンを包む食べ方はあっても、
トマト・ソースはありませんでした。
じゃがいもの無いドイツ料理は想像がつかないし、
インドのカレーに唐辛子がありませんでした。
当然タイ料理の辛さは質が違っただろうし、
キムチも麻婆豆腐も海老チリソースもありません。
・スペインではこの1世紀の間に物価は4倍にもなり、
その他のヨーロッパ地域にも影響が広がっていきました。
この通貨量の急増によるヨーロッパの長期のインフレーションを
「物価革命」と呼びます。
・エリザベス1世への配当金は実に4700%もの利回り
・スペインでは、大陸からの銀流入の恩恵が政府または政府機関だけに限定されて、
利潤インフレーション(要するに好景気)の時期が短く
資本の蓄積がなされなかったが、
イギリスやフランスは私的な商業という道筋によって大陸銀の恩恵を受け、
長期間の利潤インフレーションの恩恵に浴したと説明しています。
つまりは、国が関与するよりも民間でやりなさいということです。

第6章 東インド会社と取引所
・オランダは、もともと民間による干拓事業によって
国王の領地ではない、私有地持ちの富裕層が発生し、
イギリスに比べ民間の投資資金が潤沢にありました。

第7章 国債と保険の始まり
・平時の収入が限られている以上、
もし軍資金を借り入れたとしても返済にあてる資金はといえば、
戦争による略奪か賠償金以外にはありません。
したがって王たちは引き分けや、あるいは勝ったとしても
収穫のない戦争では借金が返せなくなってしまい、
しばしばデフォルト(債務不履行)を起こしていました。

第8章 ミシシッピ会社と南海会社
・1720年6月に「泡沫会社禁止法(The Bubble act)」
・19世紀に入ってもこの影響は続き、イギリスに比較して
フランスの銀行預金残高は伸び悩みました。
イギリスのジャーナリストで経済学者であるウォルター・バジョットが、
名著『ロンバート街』(岩波文庫)の中で指摘したように、
フランスは産業革命に向けての資本蓄積において、
イギリスに大きく差をつけられることになったのです。
・証券の始まりは、戦費調達

第9章 アムステルダムからロンドンへ
・1749年に、時の首相兼大蔵大臣であるヘンリー・ペラムが、
それまで発行されていた各種国債の何種類ものクーポンや
償還期間を統合(コンソリデート)して、
これをコンソル国債と呼びました。
国債が1銘柄しいかないのであれば売買に銘柄指定必要でなくなるし、
残存期間の利回りの計算も不要になります。
・公債ビジネスは、当初から多国間のグローバルなビジネス
・ナポレオンのフランクフルトやハンブルクの占領にともなって、
多くのドイツ系ユダヤ人がロンドンに移住
・アメリカ政府は1125万ドルの連邦債を発行して、
買収金の一部として債権をナポレオンに渡しましたが、
フランス銀行をはじめとするフランス国内金融業者は、
この債権の販売を拒否しました。
そこで米国政府の代理人であったイギリスのベアリング商会が、
アムステルダムのホープ商会とともにこれを売り出して、
ナポレオンのために現金化したのです。
英仏両政府とも、このベアリング商会の業務遂行には反対しませんでした。
この後、ベアリング商会はフランスの戦後賠償資金も、
フランスの国債発行をアレンジすることによってファイナンスしたのです。
こうしてロンドンが、国債金融市場における支配的な地位を確立したのです。

第10章 イギリスからアメリカへ
・大規模な資金調達を必要とする鉄道という事業
・イギリスよりも州単位で立法するアメリカの方が、
企業誘致の競争上の観点から、この問題に早く対応
←資金調達の法律
・各州が競争して障壁を下げる方向にすすみました。
現在の我々に馴染の深い、「登記だけで会社が設立できる制度」は、
この頃から始まったものです。
・そして「1862年会社法」と、それに追随したイギリス以外の
各国の新しい法律によって、規制から解放された会社が、
19世紀末の最初のグローバル化黄金時代を形成することになります。

第11章 戦争と恐慌と
・日露戦争はアカデミズムの世界でも第0次世界大戦とも例えられるように、
産業革命以降初めて本格的な機械化戦争でした
・日本海海戦での日本の圧倒的な勝利は、
戦費面でのロシアの戦争継続を困難ならしめ
・日露戦争は、日本の国際金融市場へのデビュー
・戦前の1兆分の1←ドイツのハイパーインフレ
・ヘーゲルの『歴史哲学講義』の中の文言があります。
「経験と歴史が教えてくれるのは、民衆や政府が
歴史からなにかを学ぶといったことは一度たりともなく、
また歴史からひきだされた教訓にしたがって
行動したことなどまったくない、とうことだ」

第12章 大戦前後の日本の金融市場
・日本は資源の無い国であり、
戦争のためには多くの資源を輸入する必要がありました。
そして輸入には基軸通貨であるドル=ゴールドが必要だったのです。
この本によれば、当時の日本のドルでの収入はそのほとんどが
女性用ストッキング用の対米絹輸出によって稼がれており、
それも39年のナイロン・ストッキングの発明によって、
いずれは無くなる運命であった

第13章 戦後からニクソン・ショックまで
・労働力不足から賃金が生産性の伸びを上回ることによる
インフレ懸念の台頭に対し、金融引き締めに入る一方で、
日本企業は他人資本依存度の高さから、
ちょっとした不況にも簡単に債務超過になる弱い体質だったのです

第14章 日本のバブル形成まで
・第二次世界大戦後の西側諸国の通貨システムは、
米ドルを基軸とするブレトン・ウッズ体制でした。
アメリカは、基軸通貨供給国として安定した輸入超過によって、
ドル資金を西側諸国に継続的に配布していく使命を自らに負わせました。
アメリカは最初から輸入超過の構造だったのです。

第15章 投資理論の展開
・モーメンタムとは、ランダム・ウォーク理論が
真っ先に否定していた「株価の記憶」のことでした。
3ヶ月から12ヶ月の期間で見ると、
上昇していた株式は上昇し続け、
下落していた株式は下落し続ける傾向があることがわかりました。




 
 

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