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『<子供>の誕生』
フィリップ・アリエス 著 杉山光信・杉山恵美子 訳
1980年刊 みすず書房



ブルジョワ近代の意識構造の根幹部分に
鋭いメスで切り込んだ現代の歴史、社会学における重厚な古典。

近世に学校という枠組みが作られると同時に<子供>という存在が
社会的に強く意識され、社会的実在として確立する。
同時に家という仕切りが社会の中に<家庭>という
極めて強固な概念を作り出す。

中世に<子供>がいなかったわけではない。
近世になって<子供>という社会集団、
あるいは年齢によって区切られる社会の層が
意識されるようになったということである。
それは同時に
<子供>を核としたブロックとしての<家庭>が
敷き詰められて積み上げられた<社会>というイメージの固定である。
そしてそれは科学と啓蒙の果てに出現した
不動のブルジョワ世界観である。

社会における強力な世界観の確立は
社会構造の地殻変動の原因であり結果でもある。
そこにあるのは社会構造の
あるいは世界意識の基底の再編の物語である。


 



以下、本文より・・・

序文

・この社会は「子供」はっきりと表徴していないし、
少年に関してはなおのことそうである←伝統的な古い社会
・一般的には子供にたいしてあまり保護はなされず、
すぐに別の子供が代わりに生れてこようと
受けとられていたのである。
・私の第一のテーゼは伝統的な社会を解釈しようとする
ひとつの試みであり、第二のそれは今日の産業社会の中で
子供と家庭とが占めている新しい地位を示そうとするものである。
・17世紀末葉以来から最終的かつ決定的な仕方でそうなのであるが、
私が分析した習俗の状態において、かなり重大な変化が生じた。
・教育の手段として、学校が徒弟修業にとって代わった。
・子供たちを閉じ込める長期にわたり存続していく過程
(ちょうど、狂人、貧民、売春婦たちの「閉じこめの過程」のような)は、
今日まで停止すことなく拡大をつづけ、
人はそれを「学校化」とよんでいる。
・家庭は夫婦のあいだ、親子のあいだに
必要な感情の場となったのであるが、
以前には家庭はそのようではなかった。
この感情はそれ以降に教育において認められ、
そこで表現されるのである。
・こうして家庭は、子供をめぐって組織され、
子供たちを以前に置かれていた匿名の状態からぬけ出させ、
重要なものとし始める。
以前の時代には子供を亡くしてもそう悲嘆に暮れることもなく
別の子供によって埋め合わせられたのであるが、
そのようにしばしば子供を生み直すことはなされなくなり、
より面倒をみるために子供の数を限定するのがよいとされるようになる。
・この学校と意識の革命はついに人口学的なマルサス主義をともなうに至った
・家族は無理に割りこもうとするものにたいして
十分に防衛された家屋の内部にあるものとなり、
「親密性」のためにも配慮のいきとどいたものとなっていった。
←17世紀の末から18世紀の時期
・公的生活は私的生活の延長になっていて、
この二つの生活の連続性に断絶はなかったのである。


第一部 子供期へのまなざし

第1章 人生の諸時期
・私たちの市民としての人格は姓名よりも
出生の座標によって一層正確に表現される
・抽象的な計量性の厳密さに長い期間頑強に抵抗を示していた習俗
・肖像画や家具などの上に年齢や日付を記銘することは、
家族にたいし、さらに歴史的な一貫性をあたえようとする同じ意識
・17世紀に特別に重視されたのは「若者期」であり、
19世紀は「子供期」、20世紀は「青年期」である。

第2章 子供期の発見
・ほぼ17世紀までの中世芸術では、子供は認められていず、
子供を描くこともなかった。
・ヘレニズム時代には、小さなキューピッドの像は
そのあふれるばかりの元気な姿で、
数多く表現されるようになった。
だが、他のヘレニズム的題材とともに
子供らしさもその図像形式から失われていき
・子供たちは日常生活の中で大人たちと混在しており、
仕事や散歩あるいは遊びといった集まりに、
子供と大人の双方が合流していたことである。
・アミアン大聖堂の死亡した子供のばあいでも、
ごく早期に失われたこの幼い生命が、
思い出に残すに値すると考えられたのではない。
生き残ることさえおぼつかない子供があまりにたくさんいたのである。
・肖像画への新しい趣味が出現することは、
生残りうるかどうかの脆弱な状態におかれていた匿名状態から
子供たちが抜け出したことを示している。
・子供の生命を必然的な浪費と考える思想は、
ようやく18世紀になって、
マルサス理論の誕生と中絶法が実践されることで、
消えていくことになろう。
・中世には知られていなかった他のもう一つの子供の像に、
ピュット(putto)すなわち幼児の裸体像がある。
・15世紀に再発見された古代のキューピットは
今なお19世紀・20世紀の「肖像芸術」のモデルとして
役立っているのである。
・子供だけが単独に描かれる肖像画の数が増大し
ありふれたものになっていくのは17世紀のことである。
・文学のなかでこれらの子供の情景は、
同時代の風俗を描いた絵画や版画のそれに対応している。
その身体、その習性、その舌のまわらぬ喋り方を含めて、
幼児期が発見されたのである。

第3章 子供の服装
・服装によって配慮がなされたのは社会的ヒエラルキーの
どの段階にいるかを明示することだけであった。
服装のうえで大人から子供を区別するものはなにもなかった。
・最初の子供服は、一世紀前には大人たちのだれもが着ていたが、
それ以降には子供だけしか着用しなくなる衣装だった。
・先ず最初に、ジェスイット会士たちの追放後に増大していった
世俗的な寄宿学校において採用された。
この種の学校は往往にして、士官学校や軍人職に就くための
準備を行っていた。
・子供期の意識は先ず少年のためのものとして覚醒され、
地方少女たちはさらに長期にわたり伝統的な生活様式のうちにとどまり、
大人の女性と区別なしに一緒にされていた。

第4章 遊びの歴史に寄せて
・近代になって幼児の独占物なっていくものは、
古代には少なくとも死者と共有されていたのである。
←人形、模擬品
・古い社会では、労働は一日のうちに
今日ほど多くの時間を占めていず、
世論の上でも重要視されることはなかった。
・アヴィニョンでは謝肉祭の日に、
学生たちはユダヤ人と売春婦たちにたいしては
殴っても罰金を課されないという特権を有していた。
・近代のやましさの意識は、19世紀の社会を
「生まじめな人びと」の社会にした深部からの
道徳化の結果なのである。
・アンシァン・レジーム期の社会では、
スポーツ、社交遊戯、賭けごとなどあらゆる形態の遊びがきわめて重要

第5章 猥らから嗜みへ
・17世紀になると習俗に一大変革が現れる。
・基本的な観念が押しつけられる。子供は無垢であるという観念である。
・誕生のとき洗礼をうけたまま無垢を有しているかれらの魂が、
イエス・キリストの宿る場所であることを思い返さなければならない。

結論 子供期への二つのまなざし
・私たちが出発点として取りあげている中世の社会では、
子供期という観念は存在していなかった。
・可愛がりという子供期にかんして第一に見られる意識は、
家庭環境の中や、幼児たちを相手にするさいに出現したのだった。
・子供たちと家庭にまつわるあらゆることが、
まじめであると同時に注目に値するものとなった。
子供の将来ばかりでなく、
その現在の姿やその存在そのものに関心が向けられるようになり、
こうして子供は家庭のなかに中心的な地位を占めるに至ったのである。


第二部 学校での生活

第1章 中世における幼い生徒と大人の学生
・学校の構造でいえば、古代の学校と中世の学校のあいだには、
根本的なところで断絶が存在している。
中世の学校は聖職者を補充する必要から生まれるのである。
・新しいひとつの現象が中世の教育に、
決定的な構造をあたえることになる。
それは神学と法学とが専門分化していくことである。
・そこでラテン語がなお存在しているのは、
私たちの学校の伝統が本質的に中世の起源に
負っているためなのである。
・最も容易で近づきやすい科目から始めて、
難易性にしたがって学業上の科目を配列するという、
段階化されたプログラムに従う教育という思想は、
中世には存在していなかった。
・段階化されたプログラムの欠如、
異なる二つの教育課程の併存、
口語反復による教育方法
←中世
・一般に教師は「教室(une schola)」と呼ばれる一室を、
大学の組織されている都市で借りていて

第2章 新しい制度:学寮
・学寮の起源においてすでに、中世には全く知られていず
19世紀まで増大しつづけてことになる近代的感情が出現するのである。
・12世紀・13世紀においては、10歳の子供たちと15歳の少年たちとは
大人の学生と一緒にされていた
・道徳と生活様式とを指導する原則をあたえる規則から、
一日の各々の日課を厳格に規定する規則へ、
同僚たちによる管理から権威にもとづく体制へ、
教師と生徒からなる共同体であったものから
教師による厳格な生徒の支配へ、移行がなされる。
・この進化は、15世紀に、ルイ14世やフィリップ・ド・コミーヌ、
そしてマキャベリの時代に生じてくるのが認められような
絶対主義の政治形態へと社会を押しやっていくような、社会の動きに対応していた。
・規律規則の最終的な確立は、
たったひとつの講義の部屋から成り立っていた中世の学校から、 教育のみでなく少年たちを監視し枠にはめこむ複雑な制度である
近世の学院へと達する進化を完成させるのである。

第3章 学級の起源
・15世紀のレクティオは16世紀末葉には学級となっていった。

第4章 生徒たちの年齢
・才能に恵まれた子供の事例は15世紀から17世紀にはよくみられる
・19世紀初頭に、各々の学級の生徒の構成は
ある固有の年齢をめぐり集中化してくる
・16世紀と17世紀の初期にあった過度の早熟の事例と、
(18世紀末まで続く)過度に遅滞した事例の消滅は、
アンシァン・レジーム期の平均年齢であり、
かつまた19世紀から20世紀初頭の典型的年齢でもあるような
年長気味の年齢を中心に、
生徒人口が集中化されることと対応している。
・この時期、少年期後期―青春期は、年齢と学級との関係が、
漸次かつ遅ればせにうち立てられてくるおかげで分化するのである

第5章 規律の進化
・新入生いじめは、学生以前の粗野な人間たることを破砕し、
新優生を辱めることによって、
かれをして古参学生に容赦を乞わせる。
かれは征服され、それ以降はかれを負かした
学生の団体=共同体に完全に属するようになる。
それと同時に、共同の正餐にあずかることによって、
かれに乱暴を働いたものものたちの兄弟となる。
こうしてかれらが同意した結社はたんに功利的な結社ではなくなり、
ひとつの友愛組織、仲間たちの社会となるのである。
・教会関係者のもとで、ついには規律化された生活という
近代の概念に達していくひとつの進化の萌芽
・二つの新しい観念が出現する。
ひとつは子供の「弱さ」(infirmite)の観念であり、
教師は子供たちの道徳について責任を有しているとする意識である。
・15世紀以降、しだいに厳格なものとなっていく
規律ある体制を確立し、発展させていくものは、
学院の権威的かつヒエラルヒー的な統治なのである。
・中世には思われもしなかったような、
近世の学院での密告の制度が重要性をもつことになる。
密告は相対的に過大となっている生徒人口を
ごくわずかな担当教師によってコントロールするために
必要であったに違いない。
・15世紀・16世紀には、体罰は社会全体における権威
ないし絶対王政的ヒエラルヒーの観念と並行して一般化していった。
・青年は大人たちから隔てられ、子供と一緒にされる。
そしてかれらは体罰というそれまでは農奴に対する懲罰であった
恥辱を共有するようになるのである
・軍人は高貴さの観念と融合していく

第6章 通学学校から寄宿学校へ
・学校はすべての年齢の人びとが
区別なく入りまじっている社会に対して置きかえられる。

第7章 「小さな学校」
・能書技能の独占は親方=筆匠の職業団体に属しているものである。
・書字はこの努力を避けさせる疑わしい手段みなされていた。
←暗記の技術に対して
・書記はまた会計士でもあった。かれらは複式簿記と外国通貨の両替に精通していた。
・19世紀の社会的保守主義と20世紀の植民地的保守主義

第8章 生徒=子供の粗暴さ
・秩序、明晰さ、権威と結びついていた一部の人びとが、
古くからの習俗のうちにある無秩序な
衝動的なものとは対立する新しい生活様式を、
教育によって社会に浸透させようと努力するのである。
・このよい教育をうけた子供とは、フランスでは小ブルジョワである。
イギリスではジェントルマンであるが、
ジェントルマンという社会類型は19世紀までは知られていないものであり、
脅かされていた貴族社会がパブリック・スクールのおかげで、
民主主義化の圧力から自らを防衛するために創出したものである。
19世紀の指導階級の習俗は、子供たちを概念として考え、
決して具体的に生きている存在とは考えなかった先駆者によって、
反抗的な子供たちに押しつけられる。
だからこの習俗は、19世紀の選良の習俗となるに先立って、
先ず第一に子供の習俗になった。
そして、しだいに、その社会的身分がいかなるものであれ、
近代の人間すべての習俗となっていったのである。
中世的な古くからの騒乱を好む傾向は、
先ず子供たちのもとで放棄され、
さいごに民衆階級のもとでも放棄される。
そして今日では、かつての放浪者、乞食、「アウトロー」、
16世紀から、17世紀初めの生徒といったものたちの
最後の継承者である不良少年のもとで存続しているのである。

結論 学校と子供期の長さ
・17世紀のモラリストと教育家たちは、かれらが方向づけ、
規律づけた学校制度と教育方法の成功のおかげで、
かれらが考えるように子供期はもっと長期なものであるという
重大な意識を押しつけるのに成功する。
その起源にあって、教育を考えつづけていた人びとにおいて、
子供期についての近代的意識と近代的な学校制度をみるのである。
・子供期は、幼児が歩くのにまだリジェールをつけていたり、
「幼児のジャルゴン」を語る時期をこえてひきのばされていった。
・子供期の意識は、グルーズに感嘆し、
『エミール』や『パミラ』を読むような啓蒙されたブルジョワたちの環境に、
そのもっとも近代的な表現がみられる
・ブルジョワと民衆階級とにおいて
学校での子供の扱い方が異なってくることによって
変化をうけたのは、生活すべてにおける色調なのである。
・近代的な年齢階級と社会階級とのあいだには、注目すべき同時性が存在している。
つまり、その両者とも、18世紀末という同じ時代に、
ブルジョワジーという同じ環境で生まれているのである。


第三部 家族

第1章 家族の肖像
・中世の「世俗の」図像記述はとりもなおさず
仕事のテーマの上に構築されている
・16世紀のフランドルの最後の写本では、
子供たちがはしゃぎまわっている。
子供たちに向けられた芸術家たちの偏愛ぶりが窺われるのである。
・天上の法に従い、
神と、家族と、国王によく仕え、
その生活を美しくするものは、幸福なり。
・これはもはや大がかりな集団的な祝祭ではなく、
一家団欒のなかでの家族的な祭りである。
それがこのように家族に縮小されたことは、
家族が子供たちを中心に凝縮することにつながっていく。
←クリスマス
・子供が食前の祈りを唱えることは、もはや礼儀作法の現れではない。
この画題が好んで描かれたのは、かつては平凡なことであったこの祈りに、
人びとが新しい意味をみとめたからなのである。
図像記述上のテーマは、信仰心、子供の意識(最年少の子供)、
家族意識(食卓での集まり)という三つの情念の力を喚起して
一つの統合体にまとめあげていた。
・L.タピエが述べているように
「キリストの一家へのこの敬意に結びつけられていたのは、
まぎれもなく家族原理そのものであった」

第2章 中世の家族から現代の家族まで
・この時代の社会は、異なる諸年齢層を集める縦割り的分割に符合していたが、
それは子供たちや大人たち、老人たちを集めているのであるから、
家族の肖像画や人生の諸時期の寓意にも使われている
あの室内合奏の演奏家たちのようなものであった。
・中世には、子供たちの教育は大人たちのもとでの見習修行によって確保され、
子供たちが7歳から他人の家族のなかで暮らしていた
・何よりもまず、全構成員がほとんど毎日互いに目にし、耳にし、
出会うひとつの社会の中で、少しでも名誉ある序列を手中にすること
・この「出世」をどのように実現するのか。
その唯一の方法は名声、評判である。
・野心と出世というルネッサンスの理想は、宮廷人が教養ある紳士に、
宮廷が世間に置き替えられると同時に消え去る。
・アンシァン・レジーム期の緊密な対人関係は、
もろく、貧弱な世俗趣味に縮小されていく
・16世紀ならびに17世紀の社会は、カフェ抜きの社会であった。
居酒屋やキャバレーは、やくざや売春婦、兵隊、
ほっつき歩いている生徒たち、乞食、あらゆる毛色の山師たちが
出入りしていた良からぬ場所であった。
・17世紀末までは、だれもが一人でいることはなかったのである。
社会生活の密度が高かったことから独立は不可能だった
・18世紀以後、家族は社会とのあいだに距離をもち始め、
絶え間なく拡大していく個人生活の枠外に社会を押し出すようになる。
家の構造も、世間に対する防衛という新たな配慮に応じるのである。

結論 家族と社交性
・それはいたるところで、近所づきあい、あるいは友人関係、
あるいは伝統的な対人関係を犠牲にして、
私的生活のプライヴァシーを増強していくであろう。
私たちの習俗の歴史は、他人から隔絶されようとし、
社会的圧力がもはや耐えがたいために
社会から切り離されようとするこの長期にわたってなされた努力に、
一部分集約されるのである。
・家は、クラブやカフェを利用することで、
17世紀には場合によって有していた
公的な場所という性格を失ってしまったのであり、
今ではクラブやカフェが今度は人の入りが少なくなってきている。
職業生活家族生活は、かつては逆に生活全体に侵入していたもう一つの活動、
社会的関係面の活動を窒息させてしまったのである。
・家族意識と古い社交関係のあり方とは相容れないものであり、
互いに他方を犠牲にすることでしか発展することができなかった、
と考える誘惑にかられるのである。


結論

・集団生活の活動は何者にも孤独とプライヴァシーの時間を残すことなく
あらゆる年代や身分の者たちを同じ流れの中に引きずりこんでいた。
こうしたあまりに集合的な生活にあっては、
私的生活のための場所はなかった。
・本質的なことは中世文明が教育という観念をもたないでいたことである。
・宗教のうちの道徳的側面が少しずつ宗教活動のうちで、
神聖さないし終末論的な側面を圧倒し始めていく。
・教育への新しい配慮は少しずつ社会の中心に根をおろしていき、
ついには根底から社会を変換する。
・17世紀における学校の異常なほどの発展
・非常に拘束が多いが多様な側面をもつひとつの社会体が解体してしまい、
家族という小社会からなる塵の集合によって、
また階級というある大規模な集団によって、
置きかえられたかのようである。
・かつては自然なことであった不平等の併存は、
ブルジョワジーには許しがたいものとなった。
富裕層の反発が、貧民のもつ恥辱の感情に先行していた。
・家族の感情、階級の感情、そしておそらく他のところでは人種の感情は、
多様性にたいする同一の不寛容さの表明として、
画一性への同一の配慮の表明として、出現するのである。





 
 

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