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『宗教改革の真実』
永田諒一 著 
2004年刊 講談社現代新書



後半細かな具体例に入り込みすぎている感じもするが
宗教改革が宗教自体の厳格化と同時に
生活の世俗化=都市政府台頭をもすすめた、
あるいはその両方が時代の枠組みの根底からの変化の
現れであったということがよくわかる内容になっている。
そしてこの枠組み変化とは
宗教体系と日常生活のリンクが外れたことを意味する。
現代に至る<世俗主義>のはじまりである。



 



以下、本文より・・・

・宗教改革と宗教対立の時代とされるこの16世紀と17世紀の前半は、
最近の研究成果によれば、実は宗教観だけでなく、
社会のどの局面をみても、
中世と近代の境目に位置する重要な時期であったといわれる。
信仰のあり方だけでなく、中世以来の古い法や制度、
経済構造や生活習慣、政治理念や世界観などがうまく機能しなくなり、
それらがいわゆるリストラを受けるなかで、
真に近代的なものが誕生しつつあった時期というわけである。
・絵具を用いる絵師と、グーテンベルクのような金細工師は、
教会などの新築や改修のときに、
壁画や装飾の仕事に従事する仲間として、互いに技術を交換したり、
影響する機会をもっていたと推定できる。
・『42行聖書』が印刷されたころの紙の値段は、
その100年近く前の3分の2に下がった。

・16世紀初頭のドイツの印刷物の種類数
 


・16世紀初頭に読み書きができるひとは5%以下だったが、
その世紀の終わりになると、都市部では30から50%近くまで上昇した
←ドイツ
・「自分で読むことができないなら、貧しい学生に読んでもらいなさい。
彼は、一日に必要なパンと交換に、
あなたのためにそれを読んでくれるでしょう」
・集団読書
・絵入り冊子←木版画
・当時、ベストセラーであった書籍は
おそらく延べ出版数2万を数えたと思われるが、
巡礼の御札はたった一日で同じ数が売れていたという。
・みんなが知っている記号
←三重の王冠をかぶったローマ法王
←風刺、ユーモア
・彼らが消極的であったのは、
民衆が文字文献を使用することを否定する
中世ヨーロッパの文化的伝統に縛られていたせいである。
←カトリックの活版印刷の利用
・聖書をはじめとする教会の書物から
教えや啓示を得るのは聖職者だけであり、
一般信徒はもっぱら聖職者から
口述で教えを授からねばならないという決まり
・宗教改革がはじまって70年以上を経た1590年代でも、
カトリック教会では儀式のときに、
手書きで書き写された祈祷書が一般に用いられていたという。
・16世紀のうちに、信仰に関する民衆向け文献だけでなく、
自然科学や職人技術の奥義、あるいは民間伝承など、
世俗の民衆文化やその伝統に立つ情報と知識を
活字化した出版物も急激に増大したことがわかっている。
・ドイツで販売された贖宥状は、買った当人だけでなく、
別のひと、それもすでに死んで、
ちょうど煉獄で苦しんでいるひとにも有効と定められていた。
←追善供養?
・ルターが住んでいたザクセン選帝侯領邦の
当時の君主フリードリヒは、
聖遺物の熱心な収集家であった。
←贖宥状とライバル関係
・カトリック教会は、一般信徒は神と直接コンタクトをもつことができず、
両者の間を聖職者と教会が仲介すると考えたが、
宗教改革派は、一般信徒にも神との直接的な対話が可能ととらえた。
←宗教のカジュアル化か?
←世俗と直接コンタクトする神
・「多くの女子修道院が、多産な貴族家庭で生まれた
余分な娘たちの養育所となっていた」
←フリーデンタール
・(厳格な身分社会で)唯一、出自を越えた
立身出世を可能にする人生選択が、聖職者の道であった
←男の聖職者や修道士
・近代以前は日本でもヨーロッパでも
、 宗教は常に共同体にかかわることがらであった。
・シュベービシュ・グミュントでは、数珠がカトリックの証であり、
同時に都市共同体への所属のしるしとなった。
すべての市民は、数珠を身分証明書のように常に携帯することを義務づけられた
・カトリック教会にすれば、放浪者を中庭で保護することは 信仰上の善行であり功績であったが、
宗教改革派からみれば、それは神の教えと対立する行為だった
・中世後期以降の都市では、都市政府が市内の秩序を維持し、
市民生活を統制するために、
結婚に関する実質上の権限をできる限り教会から切り離し、
自らの手中に収める努力を続けていた。
←結婚はカトリックの秘蹟
・都市住民の信仰生活のすべてをカトリック教会から
切り離すことになる宗教改革は、都市政府に絶好の口実と機会を与えた
・最終的に市政府の命令にしたがって新暦を受け入れた
宗教改革派聖職者たちの態度は、
変革に直面して、旧来の思考の枠組みを自ら乗りこえることができる
新しいメンタリティを感じさせる
・カトリック教会は、行列を信仰心の好ましい発露ととらえたが、
宗教改革派は、単なる「装飾的」で「外面的」な行為であるとして、
これに否定的な態度をとっていた。
・宗教改革派が求めたものは、
中世的な生活システムの積極的な変更であり、
カトリックが教えたものは、それの時代にあわせた修正
・カトリックの地域に比べて宗教改革派の地域では、
男女数のアンバランスによる結婚難がわずかでも解消されたであろうし、
書籍の販売量とそれに基づく出版業の経済的存立基盤も
相対的に大きくなったはずである。
・現実生活からの要請を、それまで自明としてきた教義や理念に
優先させねばならない場合があることを、
西ヨーロッパのひとびとが実感しはじめたのが
16世紀から17世紀はじめであった。





 
 

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