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『クラーナハ《ルター》』
マルティン・ヴァルンケ 著 岡部由紀子 訳 
2006年刊 三元社



宗教改革の歴史が語られる時、
必ずと言っていいほど登場するルターの肖像。
その肖像は政治的な利用のために巧妙に描き分けられていた。
描かれた肖像の政治的背景と
それを描いたクラーナハ、描かれたルターの関係。
現在不動のものとして流通する宗教改革者のイメージが
どのように図像として成立していったかを解説する。

100ページあまりの小さな本で
本体価格2000円はちょっと高いけれど
政治と美術と宗教が交錯する内容はとても興味深い。




 



以下、本文より・・・

・宗教画の一部分のようなものではなく、
それ自体で独立した肖像画が登場したのは、14世紀の後半であった。
それは位の高い王侯貴族の姿を描くことを目的としていた。
15世紀になり、ようやく高位の廷臣、豊かな市民、
聖俗を問わずあらゆる種類の人びとが、
肖像画を描いてもらおうと画家のもとを訪れるようになった。
・個人の認識の成果は慣習的図式の外衣のもとにしか
伝達できないという考え方である。
クラーナハの後継者やその模倣者は、
その後完全にルターという個人を、
古くから伝承された宗教的絵画崇拝の形式の
枠内で表現しようとした。
・マイセスやデューラーは、
肉体的現れを正確に再現したと告白している。
これに対してクラーナハの銘では、
肉体的現れを芸術家は自由に処理してもよいのだという
含みが感じられる。
・私の顔、私の表情については、
君たちの好きなようにつくってよろしい。
それは他人に委ねられたものだし、
この世の束縛された行為の基準に従って
形づくればよいだろう。
ただし私の精神的人格、私の内的自我、
私の私的個人個人的な良心が、
それによって煩わされずにある限りはと。
・身分の高い支配者階級の者たちが
いたる所で種々の扮装をした「役割肖像画」の形で自分の姿を描かせていた
・公衆が抱くルターのイメージは、
宮廷政治にとって世論を操作するうえで
欠くことのできない装置だったのである。
・数世紀にもわたって、プロテスタントの牧師の
肖像画の手本を提供することになった。
←1532年以来、特徴ある黒い長衣を着て四分の三正面の姿で座るルター
・19世紀以来、画家は自分が描くものを考え、
信じなければならないとされるようになった
←クラーナハへの批判的見方
・ルターは自分の顔が肖像画の中で、
いわばヴェールの陰に典型化され、
個人を越えた模範という形で保護されているのを見て、
助かったと感じたことだろう。
・ありのままの自分を曝すことからルターを守るための保護装置
・クラーナハがルターの顔を様式化するために使用した手本や図式は、
新しいものが受け入れらるかどうかを検証し、
場合に応じて新しいものを操作するためのある種のシステムなのである。
・「イメージ」が操作された形で示される時はいつも、
その成功への見込みはなによりもまず、
どの程度一般的に有効な価値や期待を、
自らの内に受け入れているか否かにかかっている。
・元来肖像画というものはとくに、
魔術の実践や浸透のために利用されやすいもの
←迷信深かったルター






 
 

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