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『宗教改革とその時代』
小泉徹 著 
1996年刊 山川出版社



歴史教科書の出版実績で有名な山川出版社の
世界史リブレットシリーズの一冊。
教科書的な歴史でも少し角度を変えて深く掘ると
面白くてわかりやすいものに変わる。
歴史の中のそこが知りたい、そこが面白い
というツボをピンポイントで押さえながら
しっかりとした安定感もあるのは
熟練出版社ならではの職人芸だろうか。
信頼できる<キュレーション>というのはこういうものだろう。

天文学的粗製乱造とフェイクによって
混乱を極めている情報社会に生きていると、
宗教改革当時のカトリックの人たちが
当時の新メディアであった印刷技術に
懐疑的だった気持ちもわかる気がする。

彼らが現代に来たらきっと良識的にこう言うかもしれない
「歩きスマホはやめなさい、
・・・そこに神の意志は宿らないから。
大切なことは直接会って伝えなさい、
・・・それが義であるから。」


 



以下、本文より・・・

・読み書き能力の有無によって、社会が階層化することもなかったであろう
・宗教改革は16、17世紀における情報革命の申し子であった
・「カルヴィニズム・インターナショナル」とでもいうべきものを形成
←フランス、ネーデルランド、ドイツ、東欧全域
・宗教改革それ自体というよりは、それを取り巻く国際関係の変化
←ハプスブルク家VSヴァロワ家対立による疲弊
・サン・バルテルミの虐殺
←1572年、フランス全土で数万人のプロテスタントを虐殺
・30年戦争は、宗教改革の最終局面となった。
この戦争においてハプスブルク家が敗れたことによって、
プロテスタント諸派がヨーロッパ各国で生き残ることは国際的に保障された。
←1618-1648
・宗教改革の時代背景をなしていたのは、ハプスブルク帝国の興亡であった
・(カール5世の)ドイツにたいする監視は緩み、結果として
ルターの宗教改革に対する対策に後れを生じることになった
←対フランス、対オスマン帝国
・ウェストファリア条約
←30年戦争終結。オランダ、スイス独立、ドイツ領邦、ドイツ帝国都市の主権承認
・30年戦争における基本的対立構図は、
二つの対立が重なりあった二重構造をしていた。
一つはカトリックとプロテスタント宗教対立で、
もう一つは新たにフランスの王位を継承した
ブルボン家とハプスブルグ家の対立であった。
・ルターやツヴィングリは比較的保守的な社会観をもっており、
教会と世俗権力の分離という点では不十分なものにとどまっていた。
・「救われたい」という気持ちをもつ人が教会に金銭を出すことは、
「救済」への近道となるのである。
いわゆる「ご利益宗教」と呼ばれる宗教の基底には
すべてこの考え方がある。
そしてこの「積善説」をさらに展開するならば、
「救われたい」という人間の自由意志が救済にあたって
大きな役割をはたすとする「自由意志説」に帰着するであろう。
・人間を救いうるものがあるとしれば、
それは人間の善行や功徳ではなく、「神の愛」以外にはない
←ルター
・救済への自由意志と救済を完全に切り離し、
救済を完全に神の予定に帰せしめる
←カルヴァン「予定説」
・敬虔な生活とは、神がこの世に定めたもうた職業生活にはげむこと
←カルヴァン。あらゆる職業生活は「召命」
・プロテスタントが聖書に立ち返ることを可能にした一つの要因として、
人文主義の影響のもとで、聖書のヘブライ語、ギリシア語原典の研究が
進展したことが見逃せない
・主権国家にとってもっとも障害となったのは、
国内のローマ・カトリック教会勢力であった。
教会は十分の一税というかたちで国の富の多くを吸い上げていただけではない。
教会や修道院は並ぶもののない大土地所有者として、
国土のきわめいて大きな部分を占めていた。
・(ザクセン選帝候)フリードリヒにしてみれば、
「敵の敵は味方」、ローマ・カトリック教会に敵は味方だった
←ルターの対して
・本来王権神授説がもっていた意味は、
主権国家の王権(権力)は、
ローマ教皇という媒介者をへずに「直接に神に由来する」
というところにあった。
・抵抗権理論は、プロテスタンティズムに本来備わっていたものというより、
ギーズ家を中心とするカトリック教徒が、
ユグノーに厳しい弾圧を加えている状況にあわせてつくられた
・ルターにせよ、カルヴァンにせよ、イングランド国教会の聖職者にせよ、
世俗の秩序維持は当然の前提であった。
・プロテスタントとカトリックを比較した場合、
プロテスタントのほうが主権国家の秩序にたいして順応性が高かった。
・イングランドには、1530年におよそ800の修道院があり、
イングランド全土の五分の一か四分の一を所有し、
その総収入は王室の経常収入に匹敵するといわれていた。
・プロテスタント諸国の君主が、修道院の財産に眼をつけた最大の理由は、
国家財政の危機にあった。
・問題は、主権国家が現実にその姿をあらわしていたにもかかわらず、
それをささえる財政制度をもっていなかったことにあった。
・(君主らは)そうした修道院財産を廷臣たちに売却し、
財政赤字の穴埋めに使った。
廷臣たちも、手に入れた修道院財産を自ら経営しない場合には、
さらに自らの政治的支配下に売却した。
こうして最後の所有者は、君主とはなんの関係もない地主になった。
・新しい地主は、経済的に見合うだけの地代を要求した。
土地を所有することは慈善事業ではなく、投資行為だったからである。
・プロテスタンティズムは、このとき地域社会の
中核になった人びとにたいして影響力が大きかった。
そのため社会の経済的分極化は、文化的分極化とも重なることになり、
熱烈なプロテスタントとそれ以外の人びとのあいだの溝を拡げることになった。
・「読み書き能力」の低い社会にあっては、
具体的に眼にみえるかたちでしか、
情報を伝達することができなかった。
そのため文字と画像の両方を独占した教会が、
文化の主導権を握ることになったのである。
・敬虔なプロテスタントと民衆文化のあいだいの敵意
・プロテスタントの影響力が強い地域では、
共同体は二つに分裂する様相をみせはじめた。
一方の極に教会があり、他方の極に居酒屋があった。
・貧しい人に施すことが救済にいたる確実な道ではなくなった以上、
貧民救済は、宗教的意味を失い、単なる行政上の厄介事になっていた。
・読み書き能力の有無は、ただ聖書が読めるかどうかいう違いを
生み出すだけにはとどまらなかった。
16世紀以降の主権国家出現の一つの結果として、
行政はますます文書というかたちでおこなわれるようになった。
貧民救済という事業一つをとってみても、
その会計報告が教区にきちんと残されるようになったのである。
そうなれば「教区医院」「貧民監督官」など地方行政の末端に位置する役職者にも、
読み書きの能力が求められるようになる。
それは必然的に読み書き能力を欠いた貧しい人びとを、
行政の末端の役職から排除することにつながっていった。
・17世紀になると状況は異なってくる。
ベーメ(ボヘミア)でのプロテスタントとハプスブルク家の闘争は、
ベーメの王位をめぐるハプスブルグ家とプロテスタント君主の全面戦争となり、
全ヨーロッパを戦火の巷に突き落とすことになった。
これが30年戦争である。
・多くの敬虔なカトリック教徒にとっても、ローマ教皇庁は悪の巣窟
・イエズス会士になろうとする者は、この修業をすべて厳格に修め、
自らを新しい人間として造りなおさなければならないのである。
それはいわば軍隊における新兵の訓練に似ていたともいわれる。
・イエズス会は腐敗もしていなかったし、
教育的という点ではプロテスタントをさえしのぐものがあった。
1597年に会が定めた「学事規則」は、
組織教育の基本として近世教育史に名をとどめているほどである。
・プロテスタンティズムの思想的流れはもともとカトリックの思想、
とりわけアウグスティヌスの救済論のなかに見出されるもの
・宗教改革の帰結が、個人の良心にもとづいて集まる人びとの
独立教会を形成する方向に向かわず、
主権国家を一つの宗教によって統合する国家教会を
つくりだす結果となったことは驚くに値しない。
・ルネサンスと宗教改革のあいだには、
たしかに人文主義という媒介項によって関係が認められる。
しかし、最終的に多くの人文主義者が
人間の自由意志を承認する立場に立って
プロテスタンティズムと対立するにいたった
・プロテスタンティズムの予定説は、
選民思想と結びついて、ヨーロッパ人以外を
「人間」として認めない方向に向かった
・ヨーロッパの宗教改革に学ぶべきものがあるとすれば、
この地上に生きるものは、
だれ一人として真理を独占することもできなければ、
誤りを犯さずにいることもないということにほかならない。







 
 

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