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『職業としての政治』
マックス・ウェーバー 著 脇圭平 訳 
1980年刊 岩波文庫

 



1919年にドイツで行われた講演の記録。
第一次大戦敗北後の絶望と無力感、焦躁と憤りのミュンヘン。
行き場を失った人々のさまよえる魂が
根拠のない革命の熱気に飲み込まれていく。
絶望を忘れるためには熱病に罹るしかないかのように。
そこに生れようとする巨大なむき出しの暴力を目の前にして
ウェーバーは語った。
しかし、どれほど論理を研ぎ澄まし倫理を訴えても
それが会場の外にまで響く事はなかった。
悪魔に倫理を対峙させても効果はない。
最終的にヒトラーという悪魔を退治したのは
もう一人の悪魔スターリンだった。
権力が暴力の争奪であることを戦争が証明したのである。


 



以下、本文より・・・

・国家とは、ある一定の領域の内部で
―この「領域」という点が特徴なのだが―
正当な物理的暴力行使の独占を(実効的に)要求する人間共同体
・自由な「デマゴーグ」は確かに西洋、それも地中海文化に特有な
都市国家という土壌の上でしか育たなかったし、
「政党指導者」の方も、同じく西洋でのみ根を下ろした
立憲国家という土壌の上で育った独特の指導者タイプである。
・近代国家とは、ある領域の内部で、
支配手段としての正当な物理的暴力行使の独占に成功した
アンシュタルト的な支配団体であるということ。
そしてこの独占の目的を達成するため、
そこでの物的な運営手段は国家の指導者の手に集められ、
その反面、かつてこれらの手段を固有の権利として掌握していた
自立的で身分的な役職者は根こそぎ収奪され、
後者に代わって国家みずからが、その頂点に位置するようになったということ。
←アンシュタルト的な支配団体=合理的に制定された法秩序によって律せられ、
かつその秩序の遵守が強制装置(機関)によって(実効的に)担保されている
・政治が権力―その背後には暴力が控えている―という
きわめて特殊な手段を用いておこなわれているという事実
・近代的な弁護士と民主制とはこのとき以来完全に結びつくが、
ここでわれわれのいう弁護士、つまり独立の身分としての弁護士は、
これまた西洋にしか存在しない
・党派性、闘争、激情―つまり憤りと偏見―は政治家の、
そしてとりわけ政治的指導者の本領(エレメント)
・国政指導者の名誉は、自分の行為の責任を自分一人で負うところにあり
・倫理的に方向づけられたすべての行為は、
根本的に異なった二つの調停しがたく対立した準則の下に立ちうるということ、
すなわち「心情倫理的」に方向づけられている場合と、
「責任倫理的」に方向づけられている場合があるということである。
・人が心情倫理の準則の下で行為する
―宗教的に言えば「キリスト者は正しきおこない、結果を神に委ねる」―か、
それとも、人は(予見しうる)結果の責任を負うべきだとする
責任倫理の準則に従って行動するかは、底知れぬほど深い対立である。
・「規律」のために人間を空虚にし、非情化し、精神的にプロレタリア化することが、
革命成功の条件の一つとなるからである。
こうして、信仰の闘争に参加した追随者はひとたび勝利を収めるや、
いとも簡単に平凡きわまるサラリーマンに堕落してしまう。
・現実の世の中が―自分の立場からみて―
どんなに愚かであり卑俗であっても、断じて挫けない人間。
どんな事態に直面しても「それにもかかわらず!(デンノッホ)」と
言い切る自身のある人間。
そういう人間だけが政治へんp「天職(ベルーフ)」を持つ。

政治をおこなう者は、権力それ自体のためであれ、
他の目的のための手段としてであれ、権力を追求せざるをえない。
政治はどこまでも政治であって「倫理」ではない。
←訳者あとがき



 
 

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