> アルゴーの本棚

ARGOBOOKS
 

『ナショナリズムの歴史と現在』
EJホブズボーム 著 浜林正夫・嶋田耕也・庄司信 訳
2001年刊 大月書店



 



19世紀の初めには王の霊的な権威が地に落ちて
その世紀の終わりには
「善良なる神が、もう一度私たちに平和をお与えくださりますれば」が、
「社会主義者たちが平和の実現をめざしているそうだ」に変わった。
世紀が変わると、神様のいないネイション―ステイトは
産業と戦争のための巨大な機械になっていた。
世界中の人々を100年間熱狂させ続けたナショナリズムは
文化の問題を装いながら
<その核心において>は
<権力や地位や政策やイデオロギー>の問題であった。
現在はその本質がどんどん露になって、
ナショナリズムは
虐殺による権力奪取を正当化するための口実でしかなくなった。


 



以下、本文より・・・

序文
・ネイションは、もっぱらある特定の、
しかも歴史的に見れば新しい時代に成立したものである。
ネイションが社会的存在であるのは、それがある種の近代領域国家、
「ネイション―ステイト」に関連する限りにおいてである。
・ルナンが述べたように、
「自己の歴史を誤解することは、ネイションたることの一部である」

第1章 新機軸としてのネイション
―革命から自由主義へ
・フォルクの含意を獲得し始めるのは16世紀においてである。
この言葉が意味していたのは、中世フランス語と同様、
生れ、血統集団(Geschlecht)であった。
←ネイション
・ひとたび彼らがフランス市民としての諸条件
―もちろんこの中にはフランス語を話すことも含まれている―
を受け容れるならば、どちらも等しくフランス人であった。
・フランスのシャルル10世が1825年にランスで古来の戴冠式と、
(不承不承ながら)呪術的な治療の儀式を復活させたとき、
国王に触れてもらってるいれきを治そうとやって来た者は、
わずか120人であった。
それ以前の最も近い1774年の戴冠式には2400人が集まった。
・1870年以降の民主化は、この正統性という問題と市民の動員を、
いずれも緊急かつ先鋭なものとしていくことになる。
政府にとっては、国家=ネイション=人民という等式における
中心項目はもちろん国家であった
・従来トルコ帝国の領土であったところが、
様々な小独立国家に分割されたことに由来する「バルカン化」
・ナショナリズムと優生学的理由づけとが、
産業革命に対する熱烈な支持と一体となっており、
さらに驚くべきことに、「世界市民」(Weltburger)団体の
創造に対してさえ熱烈な支持
←ブルジョワ自由主義全盛期の「ネイション」と「ナショナリズム」

第2章 大衆的プロト・ナショナリズム
・近代のネイションとは「想像の共同体」であり、
人間の現実の共同体とネットワークの衰退や崩壊、
あるいは、それらが役にたたなくなったことから生じる
情緒的空白を埋めるために造り出されるものであることは疑いない。
・ツァーの帝国、つまり政治的統一体はRossiyaと呼ばれたが、
これは16-17世紀の新造語でピョートル大帝以後
公式に用いられるようになった。
・古代ギリシャの例が示しているように、
いかなる国家の形成にもエスニシティは関わっていない
・「種族」のエスニシティとでも呼びうる意識を
最も強力かつ持続的に保持している人々は、
国民的国家であろうとなかろうと、
近代国家のおしつけに抵抗するだけでなく、
あらゆる国家の押し付けに抵抗する
・国王の場合には王やツァーといった至高の支配者を通じて
一般大衆が国や人々と一体化することができた
―ジャンヌ・ダルクが行ったように―
ということを示す証拠がたくさんあるのに対して、
農民が領主たちのコミュティからなる「国」と一体化することは
あまりありそうになかった。
なぜなら領主は、不可避的に、農民の不満が向かう
主要対象であったからである。
・様々なネイションからなる世界が存在するのではなく、
いくつかの潜在的に民族的な集団が、
自分たちはネイションの地位を要求しつつ、
他の集団が同様の要求を行う
―実際にはそれほど多くの集団が行うわけではないが―
ことは許さないといった世界が存在するにすぎない。

第3章 統治者側の見方
・ラヴィスが述べているように、
「自ら望んで同意したネイション」という考え方は、
フランスが行った歴史への貢献といえる。
・市民としての権利が国との関りをもたらし、
それがある程度、国家を「我々自身のもの」と見なすことを可能にする、
そうした市民の集合体としてのネイション
・ジャコバン主義とチャーチスト運動の両方の歴史が示しているように、
大衆の政治意識あるいは階級意識には、
「祖国」という観念が含まれていた。
・1914年にイギリスが宣戦布告をすると
ドイツ人に対する嫌悪感が国内で一気に高まり、
イギリスの王室がゲルフという由緒ある王朝名を
ウィンザーというドイツ語的響きの少ない名前に
変更せざるをえなくなった
・国家が一つのネイションと一体化することが、
それに対立するナショナリズムを生み出す危険性を孕んでいるとするならば、
まさに国家の近代化過程そのものが、
この危険性の現実化をほとんど不可避のものとした。
なぜなら、近代化の過程とは住民の同質化と
標準化を含むものだったからであり、
とりわけ書き言葉としての「国語」の普及が
それを推し進めたからである。
近代的諸政府による膨大な数の市民の直接統治と
技術的および経済的発展が、これを必要とした
・社会の頂上に君臨する人々の間での行政上あるいは政治上のやりとりは、
人民大衆には理解できない言葉で行われていた。

第4章 ナショナリズムの変容 1870−1918年
・「ナショナリズム」という言葉が19世紀の最後の(数)10年に発明された
・この時期は右翼的運動が台頭し
―フランスやイタリア、ドイツに見られるように―、
実際そのために「ナショナリズム」という新語が作りだされたのだが、
国内のナショナリズムは、まさにそうした右翼的運動という形を
取ることもあった
・19世紀の社会科学における中心概念、すなわち「人種」の変質
・言語におけるナショナリズムがその核心において問題にするのは
コミュニケーションでもなければ文化ですらなく、
権力や地位や政策やイデオロギーである。
・1880年代のフランスの右翼が用いた語彙の中でキーワードは
「家族」「秩序」「伝統」「宗教」「道徳」その他の類似の言葉ではなかった。
分析者たちによれば、それは「脅威」だった
・社会主義政党でありながら、民衆の民族運動の主要な担い手
・インドでタミル人のナショナリティの要求の
主要な担い手となっているトラビダ同盟(DMK)は、
本来マドラスにおける社会主義的な地方政党だった
・密接の関連する三組の対立項を用いることで、最も有効に分析されうる。
すなわち、金持ち―貧乏人(あるいは地主―農民、雇い主―労働者)、
戦争―平和、秩序―無秩序
・今やこうした不満が抵抗へと変容しつつあった。
「善良なる神が、もう一度私たちに平和をお与えくださりますれば」が、
「もうたくさん」あるいは
「社会主義者たちが平和の実現をめざしているそうだ」に変わった

第5章 絶頂期のナショナリズム 1918−1950年
・レーニンがそれについて構想を思い描いていたとき、
そのモデルとなったのは、
1914年から1917年にかけてのドイツの戦時計画経済であった
・経済危機という猛吹雪がグローバル経済を襲ったとき、
世界資本主義は、それぞれのネイション―ステイト経済と
その連合帝国というイグルーに後退したのである
・それぞれの国にエスニック的にも言語的にも同質の人々が住むような、
領域国家にヨーロッパ大陸をきっちりと分割しようと試みれば、
それは論理必然的に少数民族の大量の追い出しか皆殺しを含意することになった
・小さなネイションのナショナリズムは、
レーニンが「大きなネイションの狂信主義」と呼んだものと同じくらい、
少数民族に対して不寛容であることが明らかになった。
・1918年以後、多民族が混在する様々な地域で、
競合するネイション―ステイトのうち、
どの国の住人になるかを決めるために住民投票が組織されたが、
そこで明らかになったのは、
自分たちが話す言葉とは違う言葉を話す人々の国家の一員になることを
選ぶ人々がかなりいたということである。
・私的世界と公的世界の間の溝は、
スポーツによっても橋が架けられた。
戦間期に、大衆的な見世物としてのスポーツは、
ステイト―ネイションを象徴する個人やチームの間で
無限に繰り返される勝つか負けるかの争いへと変容した
・イギリスでも同様に、保守派はヒトラーのことを、
極めて正しく、大英帝国に対する脅威というよりは
ボリシェヴィズムに対する強力な防波堤とみなしていた
・戦争自体が、国家間の戦争であるとともに
階級間の戦いとしての要素をもつものと思われていた
・ソヴィエトロシア自身、その大部分がアジアの国家であったこと、
そして世界を主に非ヨーロッパ的な視点から
―戦間期は第一義的にアジアの視点から―
見ていたことは、
後に「第三世界」と呼ばれるようになる地域出身の活動家に
強い感銘を与えずにはおかなかった。
・ドイツや日本は、彼らを支配している帝国の敵
・「第三世界」では宗教による統合運動の興隆
―特に、イスラム教の多様な形態においてだが
その他の様々な宗派においても(たとえば
、 スリランカの急進的なシンハラ人たちの間では仏教が)―が、
革命的なナショナリズムの基盤を提供するとともに、
民族的な抑圧の基盤をも提供することになった。
・「張り合っているエスニック集団は、…教育の程度に応じて
階層化されるようになるとともに、
教育機関を牛耳ろうとしたり独占しようとしたりするようになる」
←フレデリック・バース
・「我々」と彼の共同体との間の摩擦がどのようなものであれ、
「我々」と競合するというよりは、「我々」を補完するようになる。

第6章 20世紀後半におけるナショナリズム
・変化をもたらした第一の原因は、
ソヴィエトの政治体制を自己変革しようとする決定によるもの
・逆説的なことだが、現存する体制を掘り崩すほどの力を持つ
ナショナリストによる運動のケースは、西側においてむしろ協力である。
そこではナショナリストによるアジテーションが、
最も古いネイション―ステイトのいくつか、
たとえばイギリス、スペイン、フランス、
かなり穏便なやり方でスイスを分裂させている。
・よそ者で、脅威を与える「やつら」に対して、
「我々」という集団に「エスニック」/言語的一体性をもたらすようになる
感情の力は否定できない。
・愛国的情熱を広めるために、ある南太平洋の沼地や荒れた牧草地をめぐって、
象徴的な存在であるアルゼンチン人という「やつら」に対して、
想像的な存在であるイギリス人という「我々」による
気違いじみた戦争が行われ、
外国人嫌いが世界で最も広まった大衆的イデオロギーとなっている
20世紀後半ではとりわけそうであろう。
・エスニックな一体性を求めるこのような運動は、
しばしば弱さと恐れへの反動であり、
現代世界が及ぼす力を寄せつけないための
バリケードを建てる試みのように見える。
・では、「やつら」とは一体誰なのか。
明らかに、そして定義そのものから言って事実上、
「我々ではない」人々
―まさしくその異邦性によって敵となるよそ者たちである。
・ほとんどが分離主義者のものである
特定の「ナショナリスト」の綱領に結びついた運動や政党は、
部分的な少数派の利益を表現しがちであり、政治的には動揺しやすく、
不安定になりがちである。
・ドイツ人がバルト諸国とウクライナに侵入したとき、
そこの地方分子によって行われたかなりの規模のユダヤ人虐殺は、
組織的なドイツ人のユダヤ人殺しが始まる前の出来事であった
・実際的な目的から、国家政府の管轄外にある
経済的取引の国際センターやネットワークが発展するようになった。
・「ネイション」という概念が、
「ネイション―ステイト」という
一見固い殻からひとたび引き抜かれるや、
まるで軟体動物のように、
まったく形の定まらない形で現れているということ
・19世紀や20世紀の初頭であれば、ナショナリズムは、
いわばグローバルな政治的綱領と言えたかもしれないが、
今やまったくそうではない。
それはせいぜい事態を紛糾させる要因として、
あるいは他の事態の発展のための触媒として存在するにすぎない。




 
 

ARGOBOOKS

アルゴーの本棚へ戻る

PAGE TOP


Copyright © ARGO All rights Reserved.