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『社会学の根本概念』
マックス・ヴェーバー 著 清水幾太郎 訳
1972年刊 岩波文庫



この論文は訳者によるあとがきで
「精粗の差が著しく」「病的な感じがするほど煩瑣で」
「到底、通常の意味の読物にはならない」にもかかわらず
<非常に貴重>であるとされている。
すなわち、まともに読んではいけない必読書である。
それはこの論文が十分な推敲をなされていないメモの寄せ集めだからなのだが、
それでも部分部分にはウェーバーの鋭いアイデアがいくつも含まれている。
社会全体を組み立てている権力の体系が、
個人の振る舞いや感情とどうつながっていくのかを、
厳密に学問的に定義したかったのではないだろうか。
それは大戦争の時代を生きたウェーバーの
学者としての武器だったのだろう



 



以下、本文より・・・

・行為の意味を研究する科学にとっては、
「説明」とは、その主観的に考えられた意味から見て、
直接に理解され得る行為を含むところの意味関連を
把握することにほかならない。
・諸個人だけが意味ある方向を含む行為の理解可能な主体
・社会学にとっては、行為の主体としての集団的人格なるものは存在しない
・或る人々が、国家は存在するものである、
いや、法律的秩序が効力を持つのと同じ意味で
存在すべきものであるという観念に
自分たちの行為を従わせているお陰で、
人間の特殊な共同行為のコンプレックスとして存在している
・私たちは、例えば、細胞の行動を理解することはなく、
ただこれを機能的に把握し、然る後に、
その過程の規則によって確認し得るだけである。
・社会発展の原動力であるカリスマの大部分は、
右のような過程、―すなわち、生物学的にしか把握出来ず、
また、意味の解釈や動機による説明も、
精々、部分的にしか出来ない過程―と密かに連携しているのである。
・個人主義的方法を個人主義的評価―どんな意味にしろ―
などと考える飛んでもない誤解
・いかなる動機が働いたのか、働いているのか、
先ず、この問題から始まるのであるから。
すべての機能的な―すなわち「全体」から出発する―
概念構成は、そのための予備作業を行うに過ぎない
・社会学は、類型概念を構成し、現象の一般的規則を求めるもの
・多くのケースでは、歴史的或いは社会学的に重要な行為は、
質を異にする多くの動機に影響されるもので、
これらの動機から本当の意味の平均を引き出すことは全く不可能である
・社会学的行為―放置や我慢を含む―は、
他の人々の過去や現在の行動、或いは、未来に予想される行動へ向けられる
・例えば、交換における行為者が貨幣を交換材として受取るのは、
将来の交換の際に非常に多くの人間―といっても、
未知の不特定多数者―がそれを受取ってくれるという
期待に自分の行為を向けているからである。
・「流行」も習慣に属する
・流行は多くの場合、慣例と同じように、身分上の誇りから生じる
・単なる習慣の持つ安定性というのは、主として、
周囲の多くの人たちの行為が現実に慣習の存続に関心を持ち、
それに従った態度を取っているため、
自分の行為を慣習に従わせない人間は不適切な行為を行う結果になり、
大小の不便や不利益を蒙らざるを得なくなるということから来ている
・それに違反すれば不利益になるだけでなく、
通常、彼の義務感にとって価値合理的に
―その強度は実にさまざまであるが―
厭だからである。
・秩序の正当性の保証には、次のようなものがある。
1 純粋内的なもの。
(1)純粋感情的なもの、すなわち、感情的信奉によるもの。
(2)価値合理的なもの、すなわち、究極の拘束的価値
(道徳的、美的、その他の)の表現としての、
秩序の絶対的効力への信仰によるもの。
(3)宗教的なもの、すなわち功徳の所有が
秩序の遵守に依存するという信仰によるもの
2 特定の外的結果の期待によるもの、すなわち、利害関係によるもの。
なお、特殊な期待によるものもある。
・秩序とは、次の二者を指す。
(1)慣例―これは、その効力が、
ある特定のサークル内部における違反が比較的一般的な、
実際にそれと感じられるような非難を招くという
可能性によって外的に保証されている。
(2)法―これは、その効力が、遵守の強制や違反の処罰を本務とする
専門のスタッフの行為による肉体的或いは精神的な強制の可能性によって
外的に保証されている。
・秩序がひとたび効力を得たとなると、
それへの服従の永続化にいろいろな利害が絡むようになるもの
・正当性の形式として今日最も一般的なのは、合法性の信仰である。
すなわち、正式の手続きを踏み通常の形式で成立した規則に対する服従である。
けれども、協定による秩序と強制による秩序との対立は相対的なものに過ぎない。
→現実には、少数派に対する強制
・団体の存在は、指揮者或いは行政スタッフの存在と全く不可分のものである
・「権力」とは、或る社会的関係の内部で抵抗を排してまで
自己の意志を貫徹するすべての可能性を意味し、
この可能性が何に基づくかは問うところではない。
・「支配」とは、或る内容の命令を下した場合、
特定の人々の服従が得られる可能性を指す。
・「規律」とは、或る命令を下した場合、習慣的態度によって、
特定の多数者の敏速な自動的機械的な服従が得られる可能性を指す。
・暴力行為による威嚇或いは暴力行為の使用は、
やはり、政治団体独特の手段であって、
他の手段が役に立たない場合は、いつでも最後の手段になる。
・国家も含めて、政治団体というものは、
その団体行為の「目的」を挙げて定義することは出来ない。
なぜなら、食糧の供給から芸術の保護に至るまで、
政治団体が追求しなかった目的はないし、
また、人身保護から判決に至るまで、
すべての政治団体が追求した目的というものもないからである。
・或る団体の政治的性格は、暴力行為という「手段」
―時に、それが自己目的に祭り上げられるが―
によって定義するほかない。
・今日では、正当な暴力行為は、
国家秩序が許可し規定する限りにおいてのみ存在する




 
 

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