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『定本 想像の共同体』
B.アンダーソン 著 白石隆・白石さや 訳 
2007年刊 書籍工房早山



ナショナリズム研究に関する基本であり、極めて強力な書物である。
様々な切り取り方ができる厚みをもった研究であるが、
最も基本になるのは言語と帰属意識に関する部分であろう。
不安定で変化の著しい俗語が、書き言葉として固定され、
それが印刷物として流布することで人々の間に「国民」という意識が
抜き差しならないものとして浮かび上がる。
そこでは個人のアイデンティティと国民としてのアイデンティティは、
コインの表裏のように一体である。
「母の膝の上で出会い墓場にて別れるまで、
その言語を通して過去が蘇り同胞愛が想像され
そして未来が夢見られる」のであり、
そこに祀られた国家という観念のために
「途方もない数の人々がみずからの命を投げ出」してきたのである。


 



以下、本文より・・・

1 序

・なぜ、ブルジョワジー
―それは生産関係の観点から定義される限り、世界階級である―
のこうした〔国民的〕分割が理論的意義をもつのか
・ナショナリティ。ナショナリズムといった人造物は、
個々別々の歴史的諸力が複雑に「交叉」するなかで、
18世紀末にいたっておのずと蒸留されて創り出され、
しかし、ひとたび創り出されると、
「モジュール〔規格化された独自の機能をもつ交換可能な構成要素〕」となって、
多かれ少なかれ自覚的に、きわめて多様な社会的土壌に移植できるようになり、
こうして、これまたきわめて多様な、政治的、イデオロギー的パターンと合体し、
またこれにされていったのだと、そしてまた、この文化的人造物が、
これほどにも深い愛着(アタッチメント)を人々に引き起こしてきたのはなぜか
・国民(ネーション)と国民主義(ナショナリズム)は、
「自由主義」や「ファシズム」の同類として扱うよりも、
「親族」や「宗教」の同類としてあつかったほうが話は簡単なのだ。
・日々顔付き合わせる原初的な村落より大きいすべての共同体は
(そして本当はおそらく、そうした原初的村落ですら)想像されたものである。
・共同体は、その真偽によってではなく、
それが想像されたスタイルによって区別される


2 文化的根源

・無名戦士の墓と碑、
これほど近代文化としてナショナリズムを見事に表徴するものはない。
これらの記念碑は、故意にからっぽであるか、
あるいはそこにだれがねむっているかだれも知らない。
そしてまさにその故に、これらの碑には、公共的、儀礼的敬意が払われる。
これはかつてまったく例のないことあった。
・それがどれほど近代的なことかは、
どこかのでしゃばりが無名戦士の名前を「発見」したとか、
記念碑に本物の骨をいれようと言いはったとして、
一般の人々がどんな反応をするか、
ちょっと想像してみればわかるだろう。
奇妙な、近代的冒涜!
しかし、これらの墓には、だれと特定しうる死骸や不死の魂こそないとはいえ、
やはり鬼気せまる国民的想像力が満ちている。
(これこそ、かくも多くの国民が、
その不在の住民の国民的帰属を明示する必要を
まったく感じることのない理由である。
〔そこには〕ドイツ人、アメリカ人、アルゼンチン人・・・以外、
だれがねむっていよう。)
・どうしてわたしは盲目に生れたのか。
どうして私の親友が麻痺になったのか。
どうしてわたしの娘が知恵遅れなのか。
宗教はこれを説明しようとする。
マルクス主義をふくめ
およそすべての進化論的/進歩主義思考様式の大きな弱点は、
そういった問いに対し苛立たしい沈黙でしか答えないことにある。
同時に、宗教思想は、さまざまなやり方で、
一般的には運命性を連続性(業、原罪など)へと転化することで、
不死をもあいまいに暗示する。
・18世紀がナショナリズムの時代の夜明けであるばかりか、
宗教的思考様式の黄昏でもあった
・ナショナリズムに先行する大規模な文化システム
・結局のところ、「イギリス人」がローマ教皇になり、
「満州人」が天子になることを可能にしたのも、
この聖なる言語による改宗の可能性にあった。
・「社会集団」に関する基本的概念は、求心的、階序的あって、
境界によって定義される水平的なものではなかった。
・「ラテン語は、たんに数学において用いられた言語であるばかりでなく、
教授された唯一の言語でもあった」←ブルック
・1500年に出版された本の77%はラテン語
1575年以降には、大多数はフランス語に
・ラテン語の没落は、旧い聖なる言語によって統合されていた
聖なる共同体が徐々に分裂し、
複数化し、領土化していくというより大きな過程を例証していたのである
・11世紀以来、ロンドンで「イングランド人」王朝が支配したことなど一度もない、
このことはまさに特徴的である。
そしてまた、ブルボン家に一体どの「国籍(ナショナリティ)」をふればよいのか。
・聖なる共同体、言語、血統の衰退の下では、
世界理解の様式に根本的変化が起こりつつあったのであり、
これこそが、なによりまず、
国民を「考える」ことを可能にしたのであった。
・ある特別な意味では、本は、最初の近代的大領生産工業商品であった
・これらの相互に連結した確実性は、まずヨーロッパで、
そしてやがては他の地域においても、
経済的変化、「諸発見」(社会的、科学的)、
ますます加速化するコミュニケーションの発展の衝撃の下で、
ゆっくりと減衰していき、宇宙論と歴史のはざまに荒々しい楔が撃ち込まれた。
とすれば、同胞愛、権力、時間を、
新しく意味あるかたちでつなげようという模索が
はじまったとしても驚くにはあたるまい。
そしてそうした模索をなににもまして促進し、
実りあるものものとしたのが、出版資本主義(プリント・キャピタリズム)であった。


3 国民意識の起源

・1500年までに少なくとも2000万冊の本が出版され、
ベンヤミンの「複製技術の時代」の開始を告げていた
・この時代は、出版業が「かつてなく」「強大な資本家の牛耳る大産業」
となった時代であった→1500〜50年
・資本主義の論理からすれば、
エリートのラテン語市場がひとたび飽和してしまえば、
一言語だけを話す大衆の提示する巨大な潜在市場が手招きすることになる。
・ヨーロッパ全域で貨幣不足が起こり、
印刷業者は俗語で書かれた廉価版の行商をますます考えるようになっていた
・従来のラテン語は、その主題や文体の故に秘儀的だったのではなく、
ただ書かれていたから、つまり、テキストとしてその地位の故に秘儀的だった。
しかし、いまでは、なにが書かれているかによって、
つまり言語それ自体によって、秘儀的となったのである。
・ルターは名の通った最初のベストセラー作家となった。
あるいは別の言い方をすれば、
彼は、その名前で新著を「売る」ことのできる
最初の著作家となったのである。
・出版による破壊活動の圧倒的な量によって必要となった
←バチカンの『禁書目録』
・積極的な意味で、この新しい共同体の想像を可能にしたのは、
生産システムと生産関係(資本主義)、コミュニケーション技術(印刷・出版)、
そして人間の言語多様性という宿命性のあいだの、
なかば偶然の、しかし、爆発的な相互作用であった。
・宿命性の要素は、決定的に重要である。
というのは、資本主義にいかなる超人的偉業が可能であるにせよ、
死と言語は、資本主義の征服しえぬ二つの強力な敵だからである。
・出版によって結びつけつけられたこれらの読者同胞は、
こうして、その世俗的で、特定で、可視的な不可視性において、
国民的なものと想像される共同体の胚を形成したのである。
・出版資本主義は、言語に新しい固定性を付与した。
これがやがて、主観的な国民の観念にとって
かくも中心的なものとなるあの古さのイメージを作り出すのに
役立つことになる
・出版語の固定化と口語間の地位分化が、
本来、資本主義、技術、人間の言語の多様性の爆発的相互作用が生み出した
多分に無自覚的な過程であったということ


4 クレオールの先駆者たち
・「なぜこの男は、私のしているのと同じことをし、
私の唱えているのと同じ言葉を唱えているのか。
我々はおたがいに話をすることもできないのに」
→「なぜなら、我々はムスリムだから」
メッカで出会うマレー人、ペルシア人、インド人、ベルベル人、トルコ人
・宗教的巡礼は、おそらくもっとも感動的で雄大な想像の旅
・南北アメリカで生まれた者が真のスペイン人になれるはずがない。
それ故、スペインで生まれた半島人は、
真のアメリカ人になれるはずがない。
・スペイン領アメリカ至るところで、
人々はみずからを「アメリカ人」と考えたのであり、
ここで「アメリカ人」という言葉は、
まさにスペインの外で生まれたという
共通の運命を指し示していたのである。
・遍歴のクレオール役人と地方のクレオール印刷業者は、
決定的な歴史的役割を演じた


5 古い言語、新しいモデル

・「あらゆる民(フィルク)は国民(フォルク)であり、
それ自身の国民的性格とそれ自身の言語をもつ。」
←18世紀末 ヘルダー
・14世紀にはすでに始まっていたヨーロッパ世界の
深刻な時間的・空間的縮小にあり、
それは当初、人文主義の〔古典〕発掘によって、
そして後には逆説的に、
ヨーロッパの全地球的拡大によって引き起こされたものであった。
・「比較史」とも呼びうる考え方が成長するにつれ、
やがて「近代」というこれまで聞いたこともない概念がもたらされ、
この「近代」という概念は明白に「古代」と、
しかも必ずしも「古代」に有利にではなく、並置された。
・かれらの系譜はエデンの外にあり、
エデン追放以来の人間の既知の歴史とはまったく別に発展した者であった。
・これらのユートピアはすべて
当時の社会に対する批評として書かれたものであり、
諸発見によってすでに消滅した古代にモデルを求める必要はなくなっていたからだ
・セム語研究の進展は、ヘブライ語が無類に古い言語だとか
神聖な起源をもつとかいった観念を土台から掘り崩した
・「進化をその中核とする最初の科学」
←言語の系統について。ボブズボーム
・二元語辞書は、言語のあいだのきたるべき平等主義を目に見えるかたちで示した
・楽譜←別のかたちの印刷物における俗語化
→スメタナ、ドボルジャーク、ヤナーチェク、グリーグ、バルトーク
・出版市場の生産者→読書階級の家族という消費者
辞書編纂者・言語学者・文法学者・民族学者・政治評論家・作曲家
→貴族など旧支配階級+勃興しつつある中産階級
・「勃興」は俗語出版資本主義との関係において理解されなければならない
・きわめて多くの複製によってはじめて一つの階級として立ち現れた存在
←リールの工場主とリヨンの工場主は共鳴によって結びついた
←出版語によってかれら自身の数千の同類の存在を思い浮かべるようになった
←ブルジョワジーは、本質的に想像を基礎として連帯を達成した最初の階級
・ひとたび起こると、それは、出版物の堆積していく記憶に入っていく。
それを行った人々とその犠牲となった人々の経験した
圧倒的でつかまえどころのない事件の連鎖は、
ひとつの「こと」となり、フランス革命というそれ自体の名称を得た。
数限りない水滴によって形状定まらぬ巨石が丸石となるように、
経験は数百万の印刷された言葉によって、
印刷ページの上でひとつの「概念」へと整形され、
そしてやがてはひとつのモデルとなった。


6 公定ナショナリズムと帝国主義

・王朝は、ドイツ人の擁護者として、そして同時にまたドイツ人の裏切り者として、
憎悪される羽目に陥った。
(ほぼ同様に、オスマン朝は、トルコ語を話す者からは変節者として、
トルコ語以外の言語を話す者からは
トルコ化の推進者として憎悪されるようになった。
・英国人武器商人より購入した7300丁の超近代的ライフル
(そのほとんどはアメリカ南北戦争の中古品だった)を効果的に使用できた
→討幕の薩長軍
・1873年には、日本は、連合王国よりはるか以前に、徴兵制を導入した。
・天皇家の万邦無比の古さ
・公定ナショナリズムは、共同体が国民的に想像されるようになるにしたがって、
その周辺においやられるか、そこから排除されるかの脅威に直面した支配集団が、
予防措置として採用する戦略なのだ。
・辞書編纂と出版資本主義によって手品のように出現した
これら新しい想像の共同体は、常に自らをともかく古いものと見なした。


7 最後の波

・第二次世界大戦の地殻変動をへて、国民国家の潮流は満潮に達した。
・言語を、国民というもの(ネーショネス)の表象として、
旗、衣装、民族舞踊その他と同じように扱うというのは、常に間違いである。
言語において、そんなことよりずっと重要なことは、
それが想像の共同体を生み出し、
かくして特定の連帯を構築するというその能力にある。
・ナショナリズムを発明したのは出版語である。
決してある特定の言語が本質としてナショナリズムを生み出すのではない。
・今日の多言語スイスは、19世紀初頭の産物
・ドイツ語、フランス語、イタリア語の法的対等は、
スイス中立のコインの表だったのである。
・主としてアジア、アフリカの植民地に打ちよせた
ナショナリズムの「最後の波」は、
産業資本主義の偉業によってはじめて可能となった
新しい型の地球的帝国主義への反応として発生したものであった。
マルクスが彼独特の言い方で述べているように、
「自己の生産物に対してたえず販路を拡げなければならない必要は、
ブルジョワジーを駆って全地球をかけまわらせる。」
しかし、資本主義はまた、印刷出版の普及その他によって、
ヨーロッパにおいては俗語にもとづく民衆的ナショナリズムの創造を助け、
そしてこうした民衆的ナショナリズムは、
その程度はさまざまであれ、ついでに公定ナショナリズム
―新しい国民的原理と古い王朝原理の溶接―は、
便宜上「ロシア化」とも呼びうるものを、ヨーロッパ外にもたらした。
・クレオール・ナショナリズム、俗語ナショナリズム、公定ナショナリズムは、
さまざまの組合せで複写(コピー)され、翻案され、改良をくわえられた。
そして最後に、資本主義が、物理的、知的コミュケーションの手段を
加速度的に変えていくにつれ、インテリゲンチアは、
想像の共同体を宣布するにあたり、
文盲の大衆に対してばかりでなく、
異なる言語を読む識字者大衆に対してすら、
出版を迂回する方法を見出すようになったのである。


8 愛国心と人種主義

・今世紀の大戦の異常さは、人々が類例のない規模で殺し合ったということよりも、
途方もない数の人々がみずからの命を投げ出そうとしたということにある。
・究極的〔自己〕犠牲の観念は、
宿命を媒介とする純粋性の観念をともなってのみ生まれる。
・我々は、ごく最近のものだと知っているものもふくめ、言語の原初性に気づく。
いかなる言語であれ、ひとはだれも、言語がいつ生まれたのか、
その誕生日を知ることはできない。
それぞれの言語は、地平なき過去からぼうっと浮き出してくる。
・言語ほど、我々と死者を感情的に結びつけるものはない。
・たとえば、国民的祭日に歌われる国歌を例にとろう。
たとえいかにその歌詞が陳腐で曲が凡庸であろうとも、
この歌唱には同時性の経験がこめられている。
正確にまったく同じ時に、おたがいまったく知らない人々が、
同じメロディーに合わせて同じ歌詞を発する。この斉唱のイメージ。
・国民が最初から血ではなく言語によってはらまれたこと、
そして人はこの想像の共同体に「招き入れ」られうること、
を示しているからである。
こうして今日では、もっとも偏狭な島国的国民でも、
帰化<ナチュラライゼーション>〔自然化〕
(すばらしい言葉!)の原則を、
たとえ実際に帰化するのがどれほど難しかろうと、
原則としては受け入れているのだ。
・国民を、歴史的宿命、そして言語によって想像された共同体を見れば、
国民は同時に開かれかつ閉ざされたものとして立ち現れる。
・人が他者の言語に入っていくことを制限するのは、
他者の言語に入っていけないからではなく、人生には限りがあるからである。
・母の膝の上で出会い墓場にて別れるまで、
その言語を通して過去が蘇り同胞愛が想像されそして未来が夢見られる。


9 歴史の天使

・資本主義とマルクス主義と同様、特許権の設定できない発明品
←ナショナリズム


10 人口調査、地図、博物館

・すべてをトータルに捉え分類する格子(グリッド)であり、
これは果てしない融通さをもって、国家が現に支配しているか、
支配することを考えているもののすべて、
つまり、住民、地域、宗教、言語、産物、遺跡、等々に適用できる。
・かれは植民地時代を扱ったその四部作の最終巻に
『ルマ・カチャ』、ガラスの家、という題を付けた。
それは、トータルな監視のイメージとして、
ベンサムの円形監獄(パノプティコン)と同じくらい強力である。
←プラムディア・アナンタ・トゥール(インドネシアの小説家)
・それは容易に植民地国家の後継者によって継承された。
その最終的・論理的帰結がロゴであり
―それが「パガン」のロゴであるか、「フィリピン」ロゴであるか、
それにはなんの違いもない―
ロゴは、それが空っぽであること、なんの文脈(コンテクスト)もないこと、
視覚的に記憶されること、あらゆる方向に無限に複製可能であることによって、
人口調査と地図、縦糸と横糸を消しようもなく交わらせたのである。


11 記憶と忘却

・新世界のクレオールが自分たちをヨーロッパの共同体と併存し
かつ比較可能な共同体であると想像できるようになり
・いま過去との根底的な断絶が起こりつつある
―「歴史連続体の爆破」とでも言うべきか―
そういう深甚な感覚が急速に拡大しつつあった。
こういう直感を如実に示すものとして、
1793年10月5日の国民公会の決定、
つまり、それまでのキリスト教暦を反故にし、
1792年9月22日の旧体制(アンシャン・レジーム)廃止と
共和国宣言をはじまりとして
新世界暦元年を開くという決定ほど見事な例はない。
・〔したがって、国民の物語に〕点々とその軌跡を示すのは死である。
しかし、この死は、通常の系譜とは逆に、起源としての現在からはじまる。
第二次世界大戦が第一次世界大戦をもうけ、
セダンからアウステルリッツが生まれ、
イスラエル国家がワルシャワ蜂起の先祖となる。





 
 

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