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『現代日本経済システムの源流』
岡崎哲二・奥野正寛 編 
1993年刊 日本経済新聞社



日本的とされる戦後の経済体制の特徴が、
近代にどのように構築されてきたかを
企業システムや税制、農協などを取り上げ
比較制度分析の視点で分析したものである。
突き詰めて言えば日本の戦後経済体制を規定していたものは、
戦時に進められた徹底した経済統制の仕組みであったということだ。
それは戦後の復興からバブル崩壊まで続いた強固な仕組みであった。
バブルが崩壊し、本書が出版されてから四半世紀を経た現在、
日本の経済は世界的な変化の波を受け
革命的とも言える構造改革も行われて来た。
そして企業の姿は戦前のアングロ・サクソン型に近づいてはいるが、
それが政治や国民の感性と波長が合っていないように見える。
日本人は日本国という大きな護送船団に乗っている時の方が
底力を発揮できるのかもしれない。
いや、護送船団に乗って「辛くてもみんなでガンバロー!」
と叫んでいるのが何よりも好きな極東の島の約1億人の集団こそ
真正の<日本人>と呼ばれるにふさわしい存在なのかもしれない。


 



以下、本文より・・・

第1章 現代日本の経済システムとその歴史的源流
・・・岡崎哲二・奥野正寛

・賃金の生活給化やボーナスの普及も戦時期の出来事である
・金融システムについては1927年の金融恐慌以来の
銀行合同政策が戦時期に徹底され、
戦争末期までに地方銀行の「一県一行」が実現する
・この総力戦体制自体が、一党独裁の下で策定された
ナチス・ドイツの戦時経済体制と、計画と指令によって
重化学工業化と軍事大国化を目指した
ソ連の社会主義的計画経済に範をとったものであった。
・民間企業は、提供された新事業機会に関する情報を
同業他社と共有するから、政治手段を活用し他社を抑えて
早くこの事業での地歩を確保しようとする
強いインセンティブが生まれる。
この結果、企業の体力を超えた設備拡張という「過当競争」が生まれ、
利潤の代わりにマーケット・シェアを目標とすることが
日本企業の行動指針となる。
・結局、「新体制」は、それを要請した根本的な事情、
すなわち利潤動機を軽視した経済統制の運営が
経済活動を阻害するという問題を解決しなかった
・中央の政府・統制会による計画・管理が現場の
諸問題に十分対応できていないことを前提として、
旧ソ連の「押し屋」(トルカーチ)と同様に、
それを非集団的に解決しようとした制度といえる
・戦時中の「生産力拡充」の努力が戦争による破壊と
ほぼ見合っていたことになる。
・GHQの意向は予想に反して、
経済復興には政府が責任をもつべきであり、
日本政府が民主的と考えた「自主統制」は
排除されるべき独占にほかならないというものだった。
・政府は外貨を集中管理し、外貨割当システムを
産業政策の手段として戦略的に運用した。


第2章 金融システム・規制
・・・植田和男

・戦時金融体制は、民間金融に対する
統制のみで成立したのではない。
郵貯を背景とする大蔵省預金部、
日本銀行の資金などが決定的に重要な役割を演じた
・「こうして銀行信用は国家信用と結びつくこととなった」
←『日本銀行百年史』
・規制金利商品であった復金債・国債の消化は困難を極めた。
このため、日本銀行、全国銀行協会によって
貸出金利の最高限度が決められることになった。


第3章 メインバンク・システム
・・・寺西重郎

・戦時補償特別措置法による戦時補償の事実上の支払い停止
(形式上支払うが100%の戦時補償特別税を課税)
により企業・銀行がおびただしい損失をこうむり、
企業再建整備法、金融機関祭政整備法(1946年10月)の下で
事実上の官僚支配の下におかれたことなどによる。
・持ち合いの形態としては、
住友系では事業会社間の持ち合いが急進展したが、
三菱系では銀行などの金融機関と
事業会社の間の持ち合いが中心であった。
三井系では銀行などの進展は遅れ
金融機関の持ち合いはわずかにとどまった。
・このことは三つの帰結をもたらした。
第一は、価格・非価格競争を制限された状況の下で
家計預金を吸収する最も有効な手段は支店網の拡充にあり、
このため支店許認可は銀行に対する官僚的コントロールの
主要な手段として用いられることとなった。
・第二は、銀行は支店網に関する政府規制を所与として
法人預金の獲得を主要な行動目標としたことである。
このために企業に対しては、破産の危機が許容範囲にあるかぎり、
売上高のサイズを極大化させる行動をとるように仕向けた
・第三に、銀行は系列形成により企業の預金ネットワークを
形成することに努力を払った。
事業会社相互の株式持ち合いにあたって、
しばしば銀行が中心的な役割を果たしたのは
この理由によるものと考えられる。
・銀行経営への介入の起源は、
戦時補償の事実上の打ち切りによる巨大な損失から、
金融機関再建整備法の下で銀行が官僚の保護下に組み込まれたことにある。
・GHQは取引所の再開に先立って
いわゆる「売買仕法の三原則」を示し、
先物取引を禁止するとともに
上場証券の取引の取引所への集中化を指示することにより、
取引所仲買人による取引所での価格決定と
現物商いによる売買という
従来からの分業システムを否定したのである
・20世紀初頭以来の反資本主義ないし
自由主義的資本主義批判の長期的潮流の上での
現象だということである
←メインバンク
・株主集団と従業員集団の間の交渉ゲームにおいて、
平均的従業員が企業の成長から正の効用を引き出すという仮定の下では
企業は短期の株価極大化よりも
高い成長率を追求する可能性があることが指摘されている


第4章 企業システム
・・・岡崎哲二

・企業を「経営者、従業員、銀行、株主、取引先など
多様な利害関係者の連合体(a coalitional association)」ないし
「人的資源、資本および取引先企業のあいだの
複雑な長期的契約関係の結節点として機能する法的存在」
(青木[1986])とする見方
・歴史的な出来事によって複数の制度が同時に変化すると、
システムはそれまでとは別の安定した状態(均衡)に移動して、
以前の状態には戻らない、という考え方
・戦争初期の段階で問題となったのは、
戦前型の労使関係制度が労働者の労働インセンティブを低め、
労使関係を不安定化することであった。
・配当統制は、戦前の株式を中心とした資金フローの
ミクロ的な条件に打撃を与えた
・軍および軍需産業への資源の動員は、
マクロ的にみれば、消費の圧縮ないし
個人部門の貯蓄率引き上げにほかならない。
・金融緊急措置と農地改革は、資産の名目額を固定し、
激しいインフレーションの下で、
資産家層に集中的にインフレ・タックスを課す役割を果たした。
・戦前の日本企業は、別稿でも強調したように、
むしろアングロ・サクソン的な
corporate governance structureを備えていた


第5章 「日本的」労使関係
・・・尾高煌之助

・これら舶来の技術は、在来の国内技術とは
―同系ではあるにしても―断絶した側面が少なくなかったので、
その学習には知的な飛躍が多かれ少なかれひつようだった。
のみならず、これらの「借りた」技術は、
その備え付けや部分的な改良・調整、運転などの
ノウハウの獲得に現場独自の工夫を凝らす必要が
しばしばあり、製糸器械のように、
国内の材料を使って部分的に国産化されたこともあった。
・このようなわけで、abに該当するような労働サービスは
市場では購入できないから、
企業内で働きながらの訓練(OJT)によって培われ、
比較的長期の雇用契約の下におかれるのを便宜とする。
・遅くも大正期には年功的原理が機能していたようにみえる。
・大企業に働く生産工たちの離職率(ないし労働移動率一般)は
1925年以降激減したのだから、遅くも昭和の初期以降、
大企業に働く工員の賃金曲線に年功的要素が
観察されるようになったのに不思議はない。
・生産工程従業者の報酬が、自動的かつ機械的に
年功的要素によって決まるようになった
(その意味で「純粋の年功賃金制」が確立した)のは、
もっとずっと後のことであった。
それは、生涯賃金の思想が、戦時期の皇国勤労観と結びついて
日本的賃金体系の主張となり、
勤続給や家族給などの導入に対して
理論的基盤を与えることになってからのことであった。
・鉱・工・交通の3産業で働く学徒数は、
(内閣統計局労働課の上記の資料によれば)
1944年11月の時点で約86万人に達し、
同月の従業員総数(656万人)のおよそ13%を占めた
・繊維産業などでも、兵器生産に転換させられたものがあった。
零細な工作機械企業が多数出現したのは一つにはこのためだった。
・準戦時体制以降、時代の思想的状況が右傾化するにつれて、
「皇国的勤労観」がますます強調されるようになった。
日本の勤労は、欧米式なギヴ・アンド・テイクの取引ではなく
皇国に対する奉仕であり、家族的親和と協調のなかで遂行される
・一方では労働の流動性が消え失せ、
他方では、上述のように労働報酬中の定額給部分が大きく膨らみ、
さらに基本給が定期的かつ自動的に昇給する制度慣行が普及したとき、
かの有名な「年功型賃金」が出現したのだった。
・工場での労働不足を補填する目的で多種多様の人材が登用された結果、
工場内における職種間の報酬格差は戦中期にはっきり拡大した
・これらの一連の争議のうち当初の目標を達成した労組が皆無だった
・一連の大争議における労働者側の敗北は、
その後日本経済が高度成長街道を邁進するきっかけを与えた
・労働市場の不均衡は雇用変動ではなく賃金の変化に吸収された。


第6章 業界団体の機能
・・・米倉誠一郎

・戦後日本の産業政策遂行における業界団体の基本的機能は、
政府と個別企業間にある情報の非対称性を削減することによって
政策の実効性をより高いものにしていた
・「計画化と個別企業の利潤動機の共存」、いいかえると
「私企業システムに基づいた資本主義と全体的な計画経済の共存」
の可能性を統合会システムから学習した


第7章 「日本型」税・財政システム
・・・神野直彦

・その調達に必要な貨幣は、社会秩序維持のために
独占が正当化されている暴力を背景に、
経済システムから強制的に徴収される
・「国税として徴収されたものを、半分以上も
地方自治体に再配分という関係はオランダの例を除けば
世界の先進国にみないような保本の国際的特徴」
←高橋誠『現代イギリス行財政論』1978
・現代日本の税・財政システムは、
分散型ではあるけれども集権的だという意味で、
財源統制を媒介にした集権的分散システムということができよう。
・明治期に地租あるいは営業税という外形標準で
課税される収益税を中心とした租税システムが形成された
・共同体的な協同生活のネットワークから
離脱した人々の生活が危機に陥ると、
共同体的解決能力がないため
騒乱などの秩序の混乱が生じることになる。
・伝統部門の旧中間層の経済的衰退が明らかになってくると、
地方政府はこうした階層の経済的効率に寄与するためにも、
共同体的協力作業を補完し代替する公共サービスの供給を
増強せざるをなくなっていた。
・第一次大戦を契機として戦前の税・財政システムは、
公共サービスの供給という面でも
分散化と分権化が進んだというだけでなく
その費用負担の決定についても分権化が進んでいた
・競争と確執の調整に失敗すれば、
たちまち国民社会の秩序維持が困難となる
・馬場税制改革を見てくれば、それは現代日本の
贅・財政システムの骨格となる構想を打ち出したものと認められる。
それは第一に、所得税中心税制を形成して、
中央政府に税収を集中させた税・財政システムを目指したからである。
第二に、中央政府に集中させた財源を、
租税統制と結合させてトランスファーすることによって、
地方政府を統制できる税・財政システムを形成しようとしたからである。
・シャウプ勧告もこうした戦時に形成された税制を追認したにすぎない。
・戦時に財源統制を媒介にした集権的分散システムが形成されたのは、
次の二つの要因にもとづいていたということができよう。
一つには、政治システムが経済システムを統制せざるをえなくなり、
税・財政システムが「国家の保持」という無償サービスにとどまらない。
集権的決定にもとづく公共サービスを供給することが企図されたからである。
もう一つには、そうした公共サービスを
進化の遅れた社会システムを活用して
分散的に供給しようとしたからにほかならない。


第8章 食糧管理制度と農協
・・・川越俊彦

・農業団体(産業組合)も存在したが、
それが政策の実施に直接に関与することはなかった
・保護農政の結果、食料品の国内価格は高く、
例えば米の価格はアメリカの4倍、タイの輸出価格の7倍に達する。
・日本における農業保護の歴史はそう古いものではなく、
それは高度経済成長期以降の現象なのである
・日本農業の基本的な産業構造は江戸時代にはすでに形成されており、
明治維新以降の近代国家への成長の過程で発展を遂げてきたのである。
希少な資源である土地の制約を緩和するために
種子・肥料技術の改良など、労働使用的・土地節約的技術が開発されて、
水稲作を基礎とするきわめて労働集約的な灌漑農業が発達してきた。
・種々の組合組織が制度的に整備されるのは
1900年の「産業組合法」の施行以降であった。
同法の下で、信用・販売・購買・生産の四種の産業組合が制度的に認められ、
その年に21の組織が産業組合としての認可を地方長官から受けている。
その後組合数は急速に増加し、5年後には2000組合、
さらに大正初期には1万組合を超えている。
また1909年には農業組合法が改正されて、
各産業組合の地域的な連合組織である産業組合連合会と
全国組織としての中央会の設立が認められたことにより、
産業組合も農会のような中央から町村に至る
系統組織が制度的に整備されるに至った。
・このような一連の産業組合優遇政策と
それに伴う産業組合の発展は、
当然既存の米穀商や肥料商の強い反発を招いた。
全日本商権擁護連盟が結成され、
産業組合への各種免税措置・低利資金の融資・
補助金の交付などへの反対運動、
いわゆる反産運動が展開されてゆくのもこの時期である。
←1930年代 組合の販売シェアの急激な高まり
・農業は多数の小規模な農家によって生産が行われているから、
生産計画の割り当てなどの統制政策の実施を政府が直接行うのは容易ではない。
他方、農会や産業組合などの農業団体は
中央から市町村に至る系統組織を完成させており、
当時の農家のほとんどを含む組織であったから、
それが統制の手段として活用されるのは当然であった。
・1949年には総合農協の43%が赤字組合となり、
信用事業では貯金払戻停止などを行う組合も発生する状況であった
・1950年代後半以降農協の経営は改善してゆくが、
それは食管制度が生産者保護へと転換した時期でもあった
・米の一人当たり消費量は1962年をピークに減りはじめており、
総需要量は減少しつつあった
・市場均衡価格よりはるかに高い水準に設定された米価が
生産過剰を引き起こすのは当然の結果である。
・政府は二度にわたって古米在庫を飼料や工業用として処分したが、
その売却価格は非常に低く、これに伴う国の損失は3兆円に達した
←総務庁 1987
・農協はその上部は高度に発達した官僚組織であるが、
末端では集落の共同体を基盤とした、
したがって「つきあい」に代表されるような
相互規制が機能している組織なのである。
それゆえに、農協は政策の実施機関として
さまざまな規制を円滑に遂行しうるのであり、
政府と農協の相互依存関係が戦中、戦後と続いてきた
背景となっていると考えられる
・農業は400〜600万もの企業(=農家)を抱える産業であり、
そこに食い込むことが政治的に
きわめて旨味のあることであったために、
米価の政治加算に代表されるように、
政治的にそのシステムが利用されてきたということかもしれない


第9章 現代日本の経済システム:その構造と変革の可能性
・・・奥野正寛

・第一に、ある社会で安定的に成立している制度の仕組みの多くは、
必ずしもその社会で必然的に成立するものではない。
物理的にまったく同一の社会であっても
異なる制度や仕組みが安定的に存在しうるし、
ある社会でどんな制度が生まれるかは、
同じ社会でほかにどんな仕組みが存在するかに大きく依存する。
一つの社会のなかにあるさまざまな経済的な仕組みや制度は
それぞれが独立的に存在するのではなく、
お互いが補完的に支え合っているからこそ
全体が安定的な経済システムとして存在するのである
・日本のような自由社会に存在する経済的な仕組みや慣行は、
必ずしも法律や権力による強制によって生まれたり
維持されているわけではない。
むしろその多くは、他の仕組みや慣行を選択することに
法的な問題があるわけではないのに、
何らかの理由でその仕組みを維持した方が
当事者に有利だから「制度」として成立している。
←協調のゲーム ナッシュ均衡



 
 

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