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「不幸音信帳から見た村の生活」
―信州上伊那郡朝日村を中心として―
有賀喜左衛門 著
1968年刊 未来社
『有賀喜左衛門著作集5―村の生活組織―』より


 

柳田國男門下で日本の民俗学・社会学の大先生による研究
この「不幸音信帳から見た村の生活」は
日本の贈答分野の研究ではよく引き合いに出されます。
(初出は昭和9年『歴史学研究』2巻4号)

「不幸音信帳」とは贈答を記録した帳面
今風に言うなら、わが家の<おつきあいノート>
「音信」は「インシン」と読み
「音信物」といえば贈り物のことです。
とてもとてもプライベートなものですが
そんなものが日本の田舎には
江戸時代から残されているところがあって
それを蔵の奥から引っ張り出してきて
並べて比べる、という地味で
とても生活に密着した研究です。

この著作には他にも
葬式の時の役割分担のことや
さらに村の組織のことなどにつても言及されており
そのあたりを読んでいると
村の一大イベントイベントが
葬式組を中心にジオラマ風に
再現されているような感じがします。
なかでも食事のあたりがおもしろい。
「板の間というのは料理方をいうのであって、
(中略)葬儀の料理は婚礼などと違って、精進であるから簡単であって、
(中略)例えば蒟蒻を茹で、細かく切り、これに芥子をかけたもの
(刺身の代用といっている)、ひじき、人参大根のあえもの…」
「自分達の食事や雑談のために
相当多くの時間を潰しているようなものであったに違いないけれども、
一方から見ればこれが円滑にことを運ばせる原動力にほかならなかった」
という感じです。
みんなが家々から食材を持ち寄って、
それを簡単な料理にして、食べて飲んで宴会している。
仲間で、ファミリーで、アットホームな雰囲気。
葬式がなんだかあたたかい。

しかし、そんな葬式も
音信帳に金銭の記載が増えて行くにつれて変化していく。
その変化を「不幸音信帳から見た村の生活」は
最後に、以下のように述べている。
「個々のひとが他に対する同情を持つだけの心のゆとりがなければ、
名ばかりの相互扶助は村落生活をいっそう苦しい、潤いのないものに投げ込むのである」
「空疎化した隣人の義務の表現」
「形式的に、喪家へのつき合い関係の格付けによってほぼ一定している。
これは金銭の香奠になって来ていっそう、そうである」

 


 
 

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