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『贈与の研究』
比較法学会 編
1958年刊 有斐閣


日本、英米、ドイツ、フランス、ソ連、中国の 贈与法の比較をした本である
21世紀の今になって、1958年当時の比較に どれほどの意味があるかというのは疑問ではある
(もう「ソ連」なんて国も存在しないのに…)

日本法学会の大家が 昭和の中頃に
「贈与」というものを どう考え、どう感じていたか
そのところを少しお伺いしたい…

何故なら、「法」というものが当時の国民意識の大きな流れであり
その反映だからである。
(もちろん固定化された「法」と流動的な国民意識の間には常にズレはあるとしても)

というわけで 来栖三郎大先生が担当された「日本法」の部分から引用

欧米大陸諸国の贈与法の基礎を為している贈与感は贈与を好意とみている。
これに対して日本の贈与法の基礎を為している贈与感は 贈与を義務義理乃至恩より生ずる義務とみたが故に、
贈与はしようとしまいと自由だ、
それをしてくれたから贈与を受けた者は贈与者に感謝すべきだということにならない
むしろ、義理からにせよ恩からにせよ、
贈与者側で贈与しなければならない義務があると意識しているからこそ贈与するのである。
贈与するしないはどうでもいいのではない。
だから贈与は無償だとて軽視すべきではないのである。

その贈与感の下では、未だ有償契約と無償契約の社会的作用の差異に充分考慮が払われない。」

法律は贈与を義務だと見ていた、というのは
現在の感覚からすると驚きであるが
人類学的には
モースが述べた<全体的社会的現象>である贈与の姿そのものである

「それは、宗教的な制度であり、法的な制度であり、倫理的な制度である―
この場合、それは同時に政治的な制度でもあり、家族関係にかかわる制度でもある。
それはまた、経済的な制度である」(『贈与論』序論)

南の島の裸で槍を持って踊っている奴らの掟と
我が日本国の由緒正しい民法が同じだなんて!

そう、南の島の掟にも
何百年か何千年か何万年かをかけた
由緒正しさがある
ということで
大事なのは
そこにみられる普遍性と
それを解釈する人々のあり方。

「どんな時代にあっても活動しているのは、
そしてどんな場所にあっても活動してきたのは、
人だからである。社会だからである。
精神的存在としての、
生身の存在としての人間の感情だからである」
(M.モース『贈与論』)


 

 
 


 
 

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